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1956. 1.4 First cargo of the year

春夏冬二升五合

 居酒屋などに行くと、よく壁にこういう貼り紙を見ることがありますね。「春夏冬」は、秋がないので、あきない。「二升」は、ますます。「五合」は、半升=はんじょう。合わせて、「商いますます繁盛」と読みます。

 「商い」は「飽きない」ともいいます。飽きないことは、大切ですね。私はけっこう飽きっぽいので、なんでも続いたためしはないのですが、ずっと飽きないことは、本を読むこと、豆腐を食らうことです。
 そんなわけで、このブログのタイトルは「城跡にて本を読み豆腐を食らう」となっています。
 「城跡」というのは、いま私が住んでいるマンションが、池田城跡の目の前にあるからです。

 私は私は1948年、大阪は船場(せんば)の生まれです。
両親はこの地で、ガラス・鏡の問屋を営んでおりました。
住み込みの店員さんが、30人ほど一緒に暮らしておりました。
いずれも当時の集団就職で、九州・四国・和歌山あたりから
やってきた若い人たちです。
小さい頃の私は、こうした人たちに可愛がられて、
時に意地悪されながら育ったのです。


高校生のとき、いわゆる郊外化現象というものが起こりました。
大阪市内の店主たちが、店とは別に自宅を郊外に作り始めたのです。
私の一家もこれにならい、今私が住んでいる大阪府池田市に
引っ越して参りました。
以来、池田市内を転々としながら、いまも私はここに住んでいます。
親父は、最後は無一文になってしまいました。
ガラス問屋という業態が時節に合わず、
また昭和51年頃の急激な土地の値下がりが重なって、耐えきれなかったようです。
それでも、いま思えば、立派な人生でした。
戦後の、何もない状態から従業員30人をこえる企業を育てたのですから。

私の妻は、富山県の出身です。
職場で見つけました。「可愛い」と思いました。最初は。
しかし、少しずつ印象が変わり、
後には私にとって、「同志」と言える存在だったと思います。
もちろん、ずっと大好きだったことに変わりはありません。
悲しいことに、2018年7月に亡くなってしまいました。
私は、いまおひとり様ですが、
このサイトの中では妻(ケイコさん)も、ときどき顔を出してくれるはずです。

少しは足跡を残しておこうと、このサイトを立ち上げます。
なんの得意技もありませんが、主に本のことを起点にして、日常感じたことを記事にします。つまりは、独り言です。なに、誰に見せようというのじゃありません。
自分がいったい何者かを知りたい、そんな気分もあります。

袖すりあうも他生の縁、といいます。もしもここまで読んでくださった方がおられるとすれば、他生の縁を感じざるをえません。
よろしければ、コメントを残してくだされば幸いです。

ようこそ。そして、ありがとうございます。


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