藤原を捨てる。一緒に都を出よう

大河ドラマ・光る君へ 第十回「月夜の陰謀」

 その陰謀が実行に移される日がきました。6月23日、庚申の日。
この日を逃しては事はならじ、と安倍晴明が占った日です。
月明かりの中、道兼は花山帝を‥

おっと、ここでひとつだけエピソードをはさんでおきましょう。道長とまひろの逢瀬です。

「一緒に都を出よう」道長は言います。
「藤原を捨てる。お前の母の仇である男の弟であることもやめる。右大臣の息子であることもやめる。東宮様の叔父であることもやめる」

まひろは、
「うれしいけど、どうしたらいいかわからない」
と言いつつも、意外や冷静でした。
「ふたりで都を出ても、世の中は変わらない。道長さまは偉い人になって、よりよき政をする使命があるのよ」
せっかく一大決心をしたのに、あっさりかわされてしまった。このとき道長の心の中で、何かが変わった、としても不思議はないでしょう。

さて、話を戻します。
「文箱を忘れた。取りに戻らねば」「月が明るすぎる。またの日がよいのではないか」
最後まで躊躇する帝を、道兼が辛抱強く説得し、誘導します。
 道兼は、女装束に身をやつした花山帝を牛車に乗せました。牛車が内裏をでるやいなや、すべての門が閉ざされる。そして、花山帝は元慶寺にて剃髪。
帝とともに出家すると約束していた道兼は、
「私は、これで失礼いたします」
「ま、待て、道兼。お前は朕を裏切るのか」
だまされたと気づいても、もう後の祭りです。

兼家の陰謀は大成功。花山帝は退位し、わずか七歳の一条天皇が即位、兼家は念願の摂政となり、位人心を極めたのでした。

だまされました

大河ドラマ・光る君へ 第九回「遠くの国」

 兼家は陣の定めで倒れて以来、ずっと意識が戻りません。が、しかしですよ、これが実は仮病だったのです。
娘の詮子が枕元で、
「父上がいなくても大丈夫。私と東宮には左大臣源雅信という後ろ盾がついているわ。安心してあの世へ行ってちょうだい」などと、憎々し気に語りかけていると、

「そうはいかぬぞ」

兼家の眼が、くわっと開きました。

「きゃああああ~~~~~」

 倒れてからしばらくして、兼家は意識を回復していたのです。しかし兼家は、これを利用することにしました。ひそかに陰陽師の安倍晴明を呼び、忯子(よしこ)の怨霊が兼家に取りついたという噂を流します。
 この噂は、当然花山帝の耳にも入ります。愛する妻忯子が成仏できずにこの世をさまよっている。「ああ、どうすればよいのじゃ」
 これに取り入ったのが道兼でした。
 道兼は「私は父兼家から、小さいころから、殴る、蹴る、されていました」として、兼家嫌いの花山帝の信用を得ることに成功しています。そのうえで、

「亡き忯子様に成仏していただくには、帝が出家なさる他はありません。帝が出家されるなら、私もお供します」と、持ちかけたのです。

すっかり騙されました。私もです。

どこに行っても 私は嫌われる

大河ドラマ・光る君へ 第八回「招かれざる者」

この回では、道兼(みちかね)の苦悩が語られます。

藤原の道兼。右大臣藤原兼家の次男にして、三郎道長の兄。そして七年前、馬の前に飛び出したまひろに逆上し、止めに入った母ちやはを理不尽にも刺し殺してしまった、あの道兼です。

その節は、「気に食わぬことがあるとすぐ逆上する」「わがまま放題に育った貴族の坊ちゃま」「庶民の命など虫けら同然にしか考えぬ非情な男」という描かれ方でした。しかし、この人。思った以上に複雑なパーソナリティをお持ちのようです。

順番にいきましょう。
 兼家が倒れます。
 陣の定め(じんのさだめ)の席中のことです。陣の定めとは、関白以下、位の高い公家たちが政務について議論する会議のこと。今日の「閣議」と思っていいでしょう。
冒頭、義懐(よしちか)が、こう発言しました。

「帝の命により、当分の間、この陣の定めは取り行わぬことになりました。意見のある者は書面にて申し出るように、とのことでございます」

 義懐の階位は、権中納言。この席中では下っ端なのですが、花山天皇の寵愛を受け、側近政治を行っております。その上、陣の定めを停止となれば、政治は義懐の思うがままとなりましょう。
 兼家が激怒しました。 
「これより、帝をお諫めしにまいる」
と勢いよく立ちあがったとたん、よろよろと崩れ落ちてしまいました。おそらく脳の血管が切れたのでしょう。 死にはしませんでしたが、意識不明。何日も目を覚ましません。例によって、坊主、祈祷師、陰陽師。
 道隆、道兼、道長、三兄弟は交代で枕頭に侍ります。ある日、道兼が見守る時、兼家がクワっと目を開きました。

 道兼には、人には言えぬ鬱屈があるようです。そんな道兼が、文の庫で書物の整理をしている為時(まひろの父)に声をかけました。
「為時どの、手伝おう」
道兼は聞いて欲しいのです。誰にも言えぬこと。
「私は父に嫌われておる」「小さいころから、殴る、蹴る、されておった」「私だけが」「兄も弟も、かわいがられていたのに」「どこに行っても、私は嫌われる」

シナリオを書くまひろ ポロに興じる道長

大河ドラマ・光る君へ 第七回「おかしきことこそ」

 さあて、少しづつややこしくなってきましたよ。そりゃ、そうですよね。大河ですもの。いつまでもさらさらと、小川のように流れているわけにはいきません。
 それに、おそらくこのドラマには〈戦〉がないでしょう。これまでの大河で、戦(いくさ)がないのって、ありましたっけ。「東京オリンピック」、くらいかな?
 戦争はいけないけれど、一方で人は戦話や英雄譚が大好き。やっぱりこれがないと、盛り上がりにかけます。難しいですね

以下、箇条書きふうに。

 花山天皇が寵愛した忯子が、難産の末亡くなりました。たちまち政治にも興味を失い、側近の藤原義懐に「よきにはからえ」です。

 花山帝の学問の師としてそばに仕える為時(まひろの父)は、これを見て心を痛めます。元々は兼家(道長の父、右大臣)によって、スパイとしてこの場に送り込まれていた為時ですが、どうにもこの状況が心苦しくなってしまいました。処分、叱責を覚悟のうえで、兼家にスパイ返上を願い出ます。意外や兼家は「そうか、ご苦労であった」と許してくれました

 まひろです。三郎(道長)とは当分会わない、と決意をしたものの、会いたい気持ちを捨てきれません。そんな気分を払拭したいがためか、あるいはもって生まれた作家魂が目を覚ましたのか、散楽一座のために台本を書くことを思い立ちます。
 狐が猿たちをだます面白い話は、見物衆を大いに喜ばせました。しかしこの話には、右大臣家を批判する内容が含まれていたため、右大臣家の家人たちが暴れ込み、大乱闘となります。

 兼家はこのところ、夜ごとうなされて目を覚まします。「こわい、こわいよ~」と隣で寝ている寧子を起こします。
「あなた、どうなさったのです」
「こわい。また夢を見たのじゃ、こわいよ~」
「大丈夫、大丈夫、わたしがおりますもの。大丈夫、大丈夫‥」
 まるで、赤子のようです。

 道長ら若い貴族たちの間で「打球をやろうではないか」という話が持ち上がります。
 「打球」とは、馬上からスティックを使い、球をゴールに打ち入れる球技です。つまり「ポロ」。
 4人がチームで対戦するのですが、道長チームは急に一人が来れなくなってしまいました。
 そこで助っ人として呼んだのが、なんとあの直秀(散楽一座の長、盗賊団の首領でもある)でした。

First contact

大河ドラマ[光る君へ]第六回『二人の才女』

 この回の目玉となるエピソードは、もちろん、まひろ(後の紫式部)とききょう(後の清少納言)との出会いです。史実的には、この二人が会ったという記録はありませんが、可能性は大いにあります。
 ではどんな状況下で二人を出合わせるのが、もっとも自然なのか?
 まひろと三郎の出会いは、逃げた小鳥を追いかけて、でしたが、今度はそうもいきますまい。大石静さん(脚本家)のお手並みを拝見しましょう。

 まひろと三郎。この二人、どちらもこれまで、あまり政治向きのことには興味がないようでありました。とくに三郎。のちの藤原道長の権謀術策ぶりを考えると、ほんまかいな、と言いたくなるような淡白さです。

 ところが、少しずつこの二人に変化が生じます。まず、まひろ。
 まひろの身体のことを心配した父為時(ためとき)が、もう左大臣家の集いに行かなくてもよいと言ったのに対し、こう答えたのです。
「父上の拠り所が右大臣家だけなのはいやでございます。源(みなもと=左大臣家)とのつながりも持っておかれたよいのではありませぬか」
「うーむ、そこまで考えておったのか」
まひろが男であったなら‥‥との思いをますます強くする為時でありました。

一方の三郎。兄道隆(みちたか)の屋敷に出向き、こう注進します。
 「仲間に聞いた話ですが、藤原義懐(よしちか)が、公任(きんとう)や斉信(ただのぶ)ら若いものを集め、なにやら画策しているそうな。グループ結成の動きでは‥」
「ふーむ、よく知らせてくれた。しかし道長、お前は内裏のことには興味がなかったのではないか」
「はい、今でも興味はございません。しかし政(まつりごと)は帝を支える者こそが大事。義懐のやり方を見ていますと、父上のほうがずっと良いと思います」
 道長の変化に、思わずにっこりする道隆でありました。
そしてこの場で、義懐らの動きへの対抗策として「漢詩の会」が開かれることが決定。
この「漢詩の会」で二人の才女、まひろとききょうが出会うことになります。

 漢詩の会では、その進行を取りまとめる役として、学者二名が招集されました。藤原為時(まひろの父)と清原元輔(ききょうの父)です。二人とも、当代一流の歌人であり学者でありましたから、この人選に不思議はありません。それぞれのお供として、まひろとききょうが出席したのです。

会ちゅう、公任が披露した漢詩について、道隆がまひろに問いかけます。
「為時殿のご息女、いかがかな?」
「公任さまの御作は、唐の白楽天のような歌いぶりとお見受けしました」

すかさずききょう、聞かれもしないのにしゃしゃり出ました。
「私はそうは思いません。白楽天よりむしろその親友である元微子のような闊達な歌いぶりでした」

 ドラマの大きな流れの中で成立した漢詩の会。その漢詩の会にごく自然な形で出席した二人の才女。この設え、大石静さんお見事でした。
 この二人の関係、もちろんドラマの主糸というわけではありませんが、これからも面白いエピソードを生み出してくれそうです。ますます楽しみになってきました。

まひろ怒る、倒れる、泣く、また泣く

大河ドラマ・光る君へ 第五回「告白」

 五節の舞。舞いながらまひろが見たものは、
母を殺した男道兼、そしてその隣に座る三郎(道長)の姿でした。
この日からまひろは高熱を発し、寝込んでしまいます。

 薬、医者、そしてこの時代は何といっても、祈祷師、坊主です。
家族は手を尽くしますが、まひろは眼を覚ましません。

一方の三郎ですが、まひろが舞っているとき、気づいていなかったのです。
「会いたい」 その想いを託して、三郎は文を書きます。
文は届きました。次の満月の夜、二人は会うことになります。

 さて、ここで話変わって、花山天皇のことです。
とんでもない人が天皇になってしまった。誰もがそう思ったのですが、
意外や、熱心に政治に取り組み始めました。お気に入りの、少数の側近たちを相手に、親政の構え。
 関白藤原頼忠、左大臣源雅信、右大臣藤原兼家ら重臣たちは、政治の場から追い出された形。
これまで仲の悪かった三人が、鳩首して対策を練ったりしています。

 さあ、満月の夜となりました。
まひろと三郎は、謎の男直秀の手引きにより、再会を果たします。
まひろの眼から、とめどなく涙が流れました。なんで、あのにっくき人殺しの弟が、この三郎なのか。そして、六年前のあの日、まひろは気がせくあまり道に駆けだしてしまったのです。そこへ、道兼の乗った馬がやってきました。驚いた馬は、道兼を振り落とす。怒り狂った道兼は、まひろに襲いかかり、止めに入った母千早を切り殺してしまったのです。
あのとき自分が駆けだしてさえいなければ‥‥
さまざまな思いが、このあふれる涙の正体なのです。

まひろは、口をへの字にして泣いています。

こんどは身代わり まひろ忙しい

大河ドラマ・光る君へ  第四回「五節の舞」

『古事談』という書物があります。
これは、平安時代後期の貴族社会での逸話を拾い集めて記録したもの。

その中に、こんな一節があります。

  花山院ご即位の日、馬の内侍、褰帳の命婦となり進参のあひだ、
  天皇高御座の内に引き入れしめ給ひ、忽ち持って配偶しけりと云々

 かねてから女好きで知られる師貞が花山天皇として即位する式典の最中。美しい女官を高御座の中に引き入れて、事に及んだというのです。

 まあ、けったいなお人です。
 この他にも、即位式の時王冠が重いと言って脱ぎ捨てたとか、清涼殿の狭い坪庭で馬を乗り回したとか、いろいろな逸話があります。

 さて、花山天皇即位後しばらくして、五節の舞が行われます。五節の舞とは、収穫を祝う神事の後の宴で、未婚の姫四名が舞を披露するというもの。左大臣、源雅信にもその命がくだりました。

「たいへんなことになった。我が家からも、ひとり姫を差し出さねばならぬ」
雅信の娘は、あの倫子です。帝の前で舞い、気に入られれば‥‥

「わたくしは、いやでございます」と倫子。

 源雅信は、心優しいひとです。これが藤原兼家なら、
「チャンスではないか。お前が帝の眼にとまれば、この父にとっても好都合。逃げることは許さぬぞ」とか、いうことでしょう。

 相談の結果、代役が立てられることになりました。
 遠い親戚にあたる、藤原為時の娘──まひろです。

 まひろは、なぜかこの役目を喜んで引き受けます。そして、五節の舞の当日、舞いながらまひろが目にしたものは‥。
母を殺害した藤原道兼。そしてその隣に座っている、三郎の姿でした。

Lady Murasaki スパイとなる?

光る君へ 第3回「謎の男」

三郎の父、藤原兼家は野心家です。すでに右大臣という高位にありながら、さらに上へと権力追及の手を休めることがありません。
次男道兼が、蔵人頭という天皇のおそば近く仕える職にあることを幸い、天皇の食事に薬を盛り、譲位の時期を早めようと画策します。
この計画は、まんまと当たりました。円融天皇は近頃体調すぐれず、譲位の意向をたびたび側近に漏らすといいます。

兼家には、もうひとつ心配事がありました。ライバルである左大臣源雅信の娘倫子のことです。倫子は才色兼備と評判の姫君。せっかく天皇を譲位させても、倫子がすんなり次の天皇の女御に納まってしまう可能性があります。なんとか、左大臣側の動きを知る方法はないものか? これが、まひろを権力争いの場に巻き込んでいきます。

兼家の命を受けたまひろの父為時は、まひろにこう言います。
「左大臣の姫君倫子さまの元には、和歌の名人赤染衛門という方がおられる。そこへやんごとなき姫たちが集い学ぶ会があるそうじゃ。お前も行って学んでくるがよい」

わけがわからぬまま、まひろは出かけてゆきます。
「わたくしのような身分の低いものでも、どうかご研鑽の場に加えていただきますよう、お願い申し上げます」
倫子は、磊落な気性のようです。
「ご研鑽などとは大げさよ。 あ・そ・び‥‥ 楽しんでいってください」
赤染衛門が言います。
「ではまず偏継(へんつぎ)をいたしましょう」
「やだ~わたし偏継、苦手」「わたしも~」

偏継とは、衛門が漢字の「つくり」を示すと、姫たちは場に広げた札の中からそれに合う「偏」を探して、ひとつの漢字を完成させるというものです。
漢籍に詳しいまひろにとって、こんな遊びはお茶の子さいさい。場の札を、一枚残らず取ってしまいました。(ちょっと、やりすぎじゃないの)

まひろが、倫子の様子を探るためのスパイにされていたとは‥‥あとから知ったことでした。

初弘法 行ってきました

久方ぶりです。いや、それどころじゃないな。たぶん、この前行ったのは30年くらい前ではないかしら。
東寺は、当時と変わってないけど、そりゃこれだけの月日がたてばいろんなことが変わって来る。そのことを、ちょっと報告してみます。(あくまで主観ですが)

まず、骨董の類なんですが、そういうものはほとんどなくなりましたね。(いや、よく探せばあるのかもしれませんが)
昔は──30年前は──陶磁器、書画、茶道具、古道具の店が、少なくても10軒程度はでていたと思うんですよ。しかしもう、そういうものを当てにして来るところではなさそうですね。
市というよりは縁日、そういう楽しみ方が正解なんでしょう。

出店の7割は飲食店とみました。小難しい骨董系がなくなり、縁日的要素が増えて、弘法市というブランドは健在、しかもインバウンドの恩恵。とくれば、当然ながら人出は増えています。大幅に。
出店者も、プロ的な人は減り、スマホ片手のアルバイト兄さんも目立ちました。

あれっ、何だかボクはズレてるね。
ここまで書いてきて気づきました。たぶんこんなことは、もうずうっと前から常識なんでしょう。浦島太郎的発言でした。ごめんなさい。

代筆業で憂さ晴らし

大河ドラマ「光る君へ」第二回

 あれから6年がたちました。
 目の前で母が殺され(前回このことには触れませんでしたが)いまだ悲憤の中に明け暮れるまひろ。その事実を「忘れてしまえ」という父(藤原為時)との間に亀裂が生じています。
 そのうっぷんを忘れんがために、まひろは代筆業のアルバイトをしています。この時代、男から女への恋の仕掛けは(その逆も)すべて文によるもので、しかもその中の主要な感情は「歌」によって伝えるべきものでした。

 歌が苦手な男たちのために代筆業があっても、不思議ではありません。それをまひろ──後の紫式部──がやっているというのは、なかなか愉快なアイデアです。

簾の向こうに依頼人。まひろは男声を使いながら、要望を聞きだし、歌を作ってやる。

俺たち 似たもの同士、かな?

 代筆業は、当然父には内緒。けれど、いつかはバレてしまうものです。

「父の家業に泥を塗るような真似は許さん」
と、まひろは自宅謹慎の身となりました。しかし、まひろは負けてはいません。見張りの眼をかいくぐり、市の出る広場へとやってきたんですが‥
 なんという偶然。6年前に会えなかった三郎と、ばったり再会となりました。当時9歳だった女の子がすらすらと漢籍を口にしたことを、三郎は覚えていました。

「お前は、いったい何者なんだ」
「そっちこそ 何者よ」

 それぞれの息苦しい家庭環境から逃れてきた、まひろと三郎。好き嫌いの前に、お互いの中に心からくつろげる「何か」を見いだしたようでした。