京都蔦屋に クラックラ

昨年10月にオープン。まだ3ヵ月しかたっていない、でき立ての京都蔦屋書店を覗いてきました。
アートと文化の「伝統と最先端」が共振する場──というのが、こちらのコンセプトなんですが、やや、これはすごい。
河原町高島屋SC、エスカレーターで5階へ。フロアーに一歩踏み出したとたん、まさしく、アートで文化で贅沢な空気が、どっと押し寄せてまいりました。

京都の書店事情は、目まぐるしく変わります。大型店では、ボクが以前よく通っていたのが四条通りのジュンク堂。たしか3,4年間に閉店しましたね。それから、京都からの帰り際、阪急電車に乗る前に必ず立ち寄っていたのが、KOTOというビルの中にあったブックファースト。これも、いつの間にかなくなっていました。大型店ではありませんが、個性的なセレクトで名物店だった三月書房も閉店。
引越して来てから、なぜか一度も行っていない恵文社は健在。ホホホ座やCAVABOOKSや誠光社はどうなんだろう。
現在、京都最大店は京都BAL内の丸善。蔵書数は約100万冊。そこへいくと、この京都蔦屋の蔵書数6万冊は、けた違いに少ない。しかしそれこそが、この本屋のユニークさを物語っています。
売り場面積の使い方の贅沢さよ! これでええのんかい? 思わず店長に詰め寄りたくなりました。さあ、目指す方向をしっかり歩いていけるのか。コンセプトはよくても、客はリアルで薄情です。ハートをつかんで、足にしがみついてほしいです。

やっぱり気になる

今日(1月14日)第二回の放送ですが、おっと何の話かと言いますと、もちろん大河ドラマ「光る君へ」の話です。どの程度に忠実に描くかどうかなんですが、ある程度小説的アップグレードをしませんと、一年間はとてももちません。ましてや、資料が少ない平安時代ですから。
間違っているのは困りますが、+アルファや、+アルファアルファ、+アルファの10乗でも、ドラマとして面白ければどんどんいっちゃいましょう。って、別にボクが許可を与える必要もないわけですが。
他に気になったのが、イントネーションです。都言葉って、いまの関西の言葉に近いんじゃないの?しかしまあこれも、当時の録音があるじゃなし、ここを掘っていくといろいろ難しいんだろうなと忖度して、OKとしました。(また許可してる)

長生きしたのは清少納言

史実を気にするしないは別にして、何かの役に立つだろうと、簡単な年表をつくってみました。

紫式部と藤原道長を軸として、これに清少納言を加えてみました。(ボクは実は清少納言のほうが好きなんで)清少納言と道長は同い年だったんですね。また、清少納言・紫式部ともに結婚歴があり出産歴もあるって、ちょっと意外な気がしませんか。一番先に生まれて、最後まで長生きしたのは清少納言でした。もっとも晩年はかならずしも恵まれてはいなかったようですが。年表一つでもいろんなことがわかる。面白いですね。

大河ドラマ「光る君へ」スタート

 もしもあなたが生まれてくる時代を選べるとしたら、ただし、自分がどんな人間になるか、どの国に生まれるか、男として生まれるか女として生まれるか、どの宗教を信じるようになるかは前もってわからず、人類の歴史の中で生まれてくるのに一番良い時代だけを選べるとしたら、それはいまこのときだろう。
 これほど世界が健康なときはない。これほど豊かなときも、これほど教育が行き渡っているときも、いまより暴力が少ない寛容なときもない。

 これはバラク・オバマが1919年に行ったスピーチの一部です。

 たしかに、男だろうが女だろうが、農民だろうが戦士だろうがエンジニアだろうが山岳民族だろうが、「いま」に生まれるがもっともリスクが少ないでしょう。
 そこで、条件を少しプラスします。場所は日本に限ること。「いま」は選択肢から外すこと。さあ、どうですか?
 ボクは、案外平安時代が有力な候補になるのではないかと思います。江戸時代と並び、大きな戦乱が少ない時代だからです。
 けれどやっぱり男として生まれるのと女としてうまれるのとでは、大きな違いがありますね。紫式部は、下級貴族であった藤原為時の娘として生まれました。為時は勅撰集に和歌が採られる歌人であり学者でした。為時は息子の惟規(紫式部の弟)に漢籍を教えますが、惟規は読み覚えるのが遅く、すぐ忘れたりします。ところが、そばで聞いていた式部は、不思議なほど早く理解するのです。父の為時は「ああ、式部が男の子であったらよかったのに」といつも嘆いていたと言います。当時、紫式部がどんなに優秀であっても、女の身でその才を生かすことはできなかったからです。

ところがですよ、ときに歴史というものは面白いいたずらをします。日本の、いえ世界の文学史にとって、紫式部が女の子であったことは大きな幸運であったのですから。

Boy meets girl

 さて、NHKの大河ドラマ「光る君へ」がスタートしました。まずは、紫式部の少女時代から話は始まります。(定石どおり)
 少女時代の名前を「まひろ」といいます。まひろは、あるとき鳥籠で飼っていた鳥を逃がしてしまい、それを追ってかわのほとりまでやってきます。しくしく泣いているところへ、三郎(後の藤原道長)が通りがかり
「泣くな。よし俺が笑わせてやる」
と話しかけてきました。
 Boy meets girl!
もちろん、史実ではありません。いかに下級とはいえ、貴族の娘が一人で外に出るなどは、ふつう考えられません。でもこれが、大事な伏線なんでしょうね。これからこの物語は、まひろと三郎の関係を中心として進むことになります。

徒歩5分 紫式部に会いに行く

大河ドラマ「光る君へ」が、明日(1月7日)から始まります。これまで大河で視聴率を稼いできたのは、戦国物か幕末ものと相場が決まっておりましたが、その常識を打ち破ったのが一昨年の「鎌倉殿の13人」。
いや~あれは面白かったねぇ。平安から武士の時代へと、ズルっと時代が動くさまを、いきいきと見せてくれました。
そして今年の「光る君へ」。一般にはあまりなじみの薄い、平安時代を舞台にして、果たして成功するのか?
それはわかりませんが、ボクとしてはたいへん楽しみにしています。実のところ、「源氏物語」についての勉強を去年始めるつもりだったのに、なんとなく頓挫してしまった経緯もあります。
今年一年、「光る君へ」に伴走してみたいと思います。

紫式部のお墓

私、昨年ここ京都市北区紫野に引っ越してきたのですが、その我が家からなんとわずか徒歩5分のところに、紫式部のお墓があります。

場所は、堀川通の鞍馬口上るです。広い堀川通に面して、やや唐突という感じでこのお墓はあります。
なぜここにお墓があるのか? 紫式部が生まれ育ったのが、どうやらこのあたりらしい。紫式部の住まいは廬山寺にあったと言われ、ここで「源氏物語」や、「紫式部日記」などを執筆しました。
廬山寺は、節分で有名なお寺ですが、最初は與願金剛院という名で船岡山の麓に創建されました。後に現在の名前に変更、秀吉の都市計画(町割り)で京都御所の東に移転されました。

お墓は、小ぶりですが、よく手入れされています。
顕影会によるものでしょうか。

はあぁ 断捨離失敗だあ

二ヵ月ぶりです。ずいぶんと更新が途絶えておりました。言い訳はいろいろありますが、要はなまけていただけのこと。
難航していた片づけは、ようやく、なんとか先が見えてきた感じです。それにつれてはっきりしてきたことは、「断捨離失敗」──これです。
じいさんひとり生きていくのに、こんなにものはいらんやろ。(いらぬ)もの、(すぐには使わぬ)ものが、収納場所を求めて床上に散乱し、そのくせいま(いる)ものが見当たらない。
引越しは断捨離のチャンスでしたが、明らかに失敗したと言わざるをえません。いまからでも、ものを減らせばえやないかということですが、せっかくつ

とにかく、圧倒的に収納スペースがたりません。
さてそこで考え出したのが、「家中棚作り」作戦です。利用できる壁スペースを徹底的に活用して、この問題を棚上げしてしまおうという作戦です。
いくつかの例を写真でお見せします。ごらんください。

これは前の家で使っていたCD用の棚。立てて使っていたものを、横に寝かせて取り付けました。またその上にスピーカー。
階段の踊り場スペースを利用して。変わった形をしているのは、いまある材料をできるだけそのまま使って制作する方針だから。

2階の内装 ほぼ完成

だんだんと、きれいになってきましたよ。2階の床から1回に光を取り込む仕組みも完成したようです。実際にはどんな風に光が入ってくるのでしょうか。楽しみですね。

一方、荷造りの方はなかなかはかどりません。引越し日は19日。すでにカウントダウンが始まっています。う~ん、ちとあせりますね。

ありがとう 最後はヨタヨタでしたが

 18年間(たぶん)このテニススクールに通いました。池田駅から阪急電車で川西能勢口へ。能勢電に乗り換えて、平野駅下車。またバスに乗って10分。多田ハイグリーンテニスクラブです。
 9月10日(日)こちらでの最後のテニスを楽しみました。コーチをはじめ、仲間のみなさん、ありがとうございました。元々下手くそなテニスですが、筋力、瞬発力、持続力ともに衰えてきて、もうこの頃はヨタヨタ状態。みなさんの足をひっぱったことと思います。ごめんね。
 さて、名残りは尽きないけれど、もう一度ありがとう。またコートで会えたらいいね。

タイトルを変更します

 引越しにともない、このブログのタイトルも変えることにします。
あまり気の利かない名前だと思いますが、いまのところ思いつかないのでこれでいきます。
 紫野は「むらさきの」と読みます。京都七野の一つと言われ、朝廷の狩猟地、あるいは葬送の地ともなった場所です。要するに野原だったのですね。
 名前は変えましたが、まだ中身は変わりません。これから少しずつ京都の話題もふえてくると思いますので、ご愛読をお願いします。
 気が向いたらコメントをいただけるとうれしいです。コメントを入れてもメールアドレスなどが公開されることはありませんので、ご安心ください。

 『PACHINKO』久方ぶりの小説

『PACHINKO』上・下 ミン・ジン・リー 池田真紀子(訳) 文藝春秋 2020年7月 

 1910年、日本が大韓帝国を併合した。その頃。
 港町釜山のすぐ南にある幅8㎞ほどの小さな島、影島に、倹約家で辛抱強い働き者の漁師夫婦が住んでいた。
 夫婦が暮らしている借家は、面積45平方メートル。屋内はふすまで三つの空間に仕切られている。金持ちの大家がまたも家賃を引き上げるという。仕方なく、夫婦は奥の小さな部屋で寝起きし、空いた部屋には下宿人を置くことにした。夫婦の間には、フニと名付けられた男の子が一人。フニは成人し、見合いをして妻を娶った。フニの若い妻ヤンジンは、何度も流産を繰り返したのち、ようやく健康な娘ソンジャを産む。
 ソンジャは16歳のとき、憬れの先輩コ・ハンスにキノコ狩りに誘われ、森の中で身を任せてしまう。ソンジャは妊娠し、コ・ハンスからのプロポーズを期待したが、答えは「(自分は既婚者で)結婚はできないが面倒は見る」というものだった。ソンジャは申し出を強く拒否し、1人で子供を産む決意をする。 

 この本を読み始めたのは、8月の14日でした。思った以上に面白く、スラスラと読めたので、上巻は一日でクリア。翌15日には下巻も読んでしまう予定だったのです。ところが、あの浸水さわぎです。それどころではなくなり、やっと今読み終えた次第です。 
 ソンジャは、ゴッドマザーとか肝っ玉母さんといったタイプではありませんが、正しいと思ったことを迷いなく実行する芯の強さを持っています。揺るぎがない。ぶれない。
 ソンジャはその後若い牧師イサクと結婚し、二人の息子をもうけます。長男ノアはコ・ハンスとの間の子。次男モーザスはイサクとの間にできた子どもです。モーザスは、純情すぎるほどまっすぐな性格で、それだけに喧嘩っ早く、しばしば問題を起こします。そんなモーザスを救ってくれたのが、大阪のパチンコチェーンのオーナーの後藤。後藤はモーザスの真面目さと、隠れた経営能力を高く買い、チェーン内で次々と昇進させます。
 あ、言い忘れました。舞台はもう大阪です。鶴橋、猪飼野。物語は、モーザスの息子のソロモンの時代まで、ソンジャを中心に5代にわたる年代記となっています。

ボクがパチンコ店に入ったのは学生時代だから、50年前か。その頃のパチンコは、玉を一個ずつ穴に入れるタイプで、けっこうテクニックがいるものだった。この本には、あまりパチンコの話は出てこない。


 鶴橋、猪飼野といえば、ボクもまんざら縁がないわけでもありません。鶴橋は印刷会社が多いところで、ボクはしょっちゅう校正に出かけておりました。ときには徹夜になることも。また、ボクの父親は板ガラスを扱う会社を経営しておりましたが、生野区南巽に工場があり、学校が夏休みになると、毎日手伝いに行かされたものです。この辺りも、在日の人たちの多い地域でした。

 ここで、素朴な疑問。ここに登場する人たちはいわゆる在日コリアンと呼ばれる人々ですが、決して強制移住させられたわけではありません。異国である日本へ、大阪へ、自主的にやってきて、様々な困難に出合い、たくましく生き抜きます。 
 でもなぜ、日本へ大阪へ? 同じ韓国内の都市で職を探す方法はなかったのか? こんな簡単な(?)問いに、ボクは答えることができません。やはりこの辺りのこと、避けてきたのかもしれませんね。そんなことに気づかせてくれた一冊でもありました。

雨あがって‥ がんがら火

午後4時ごろ、激しく雨がふりました。ちょっと心配しましたが、30分ほどで雨はやみ、おかげで暑さも少し和らいだようです。
おそらくはこれで見納めとなるでしょう、池田名物がんがら火を見に行きます。がんがら火の大たいまつは、午後6時30分に愛宕神社を出発、サカエマチ商店街に続く道を南下し、桜通りを経て池田駅の手前で折り返し、今度は池田市役所の前を北上、やがて燃え尽きてお開きとなります。
いつもはだいたい9時頃、市役所の前あたりに見に行くのですが、今日は早めに出かけることにしました。というのは、大人が担ぐ大たいまつと、もう一つの子どもたいまつも見ておきたいと思ったからです。

もうちょっと近くへ行って撮影したいところですが、浸水の後遺症かどうも体に力が入りません。で、ここはこれくらいにして、子どもたいまつのルートへ向かいます。
子どもたいまつは、都市緑化植物園と星の宮さんの間を一往復します。カンカンという音を頼りに、小林邸の方に急ぎます。

動画を見たShoukoから指摘をうけました。「子どもが多い」。
言われてみれば、なるほどです。いままでは、こんなに子どもいなかった。いったいどうしたんだろう?
さてこれで池田の夏とバイバイです。ちょい寂しい。