もとより戦争には反対です。しかし、長い長い人類の歴史において、人は戦争を続けてきたではありませんか。小説やドラマや歴史の中では、その物語や英雄伝説に心躍らせるではありませんか。 人の、あるいは生物としての本能がそうさせるのでしょうか。それとも、「必要悪」とでもいうべきものでしょうか。
かすかな記憶を頼りに、こんな本を引っ張り出してきました。 『良心の領界』。これは2002年に行われた、スーザン・ソンタグを囲むシンポジウムの記録です。パネリストとして、浅田彰、磯崎新、姜尚中、木幡和枝、田中康夫が出席しています。
『良心の領界』スーザン・ソンタグ 木幡和枝訳 NTT出版 2004年3月
この中で、かつてスーザン・ソンタグと大江健三郎が交わした往復書簡のことが話題になりました。 浅田彰の発言:
いくらミロッシェビッチを抑止するためといってもNATOの空爆は容認できないというのが彼(大江健三郎)の立場でしょう。それに対してソンタグさんは、そう言いたい気持ちは非常によくわかるけれども、「ノー・モア・ウォー」と「ノー・モア・ジェノサイド」「ノー・モア・ヒロシマ」と「ノー・モア・アウシュヴィッツ」を同時に考えなければいけないとき、ジェノサイドを防ぐために最小限のウォーが必要になるという厳しい選択もあるのだとおっしゃっている。 たとえば、ドイツの緑の党のジョシュカ・フィッシャー外相が軍事力の投入をやむなしと判断したことを、ソンタグさんは肯定しておられます。
この往復書簡というのは、99年6月に朝日新聞に掲載されたものです。 このとき大江は、「私はこの国に柔らかなファシズムの網がかけられる時、若者たちが国境の外へインターネットの窓をあける、そのような共同体を夢想します」と、大江らしい言い方をしたのに対し、ソンタグは「柔らかなファシズム」とはあまりにも「あいまい」でムード的なんとちゃいまっか、とたしなめたのでした。 ちなみにソンタグは93年から95年まで、戦火のサラエボを計5回も訪問し、長期滞在しています。現場での体験から、ソンタグとしては、戦争のリアリティを語らずにはいられなかったということでしょう。 紛争地帯への介入について、少し違った角度からの意見があります。 姜尚中の発言:
ソンタグさんは、一般論としてある種の人道的介入が是か非かではなく、きわめて具体的な状況の中で考えていくべきであると言い、それに対して大江さんは、原理的にすべての人道的介入は成り立ち得ないという立場をとっておられる。私自身は、大江さんと異なる意味で、人道的介入に対して否定的です。具体的には南アフリカ共和国のことを考えるとわかると思いますが‥‥(中略)南アフリカの問題は、短期的にみるとアパルトヘイトによって膨大な犠牲者が出たのですが、しかしそこに介入しなかったことによって、長期的にみるとさまざまな犠牲をより少なくすることができたのではないでしょうか。 朝鮮戦争もまた、もしそこに大国が介入していなければ、同じ民族同士があれだけの殺し合いにならなかったのではないかと思います。
さて、いまのウクライナです。ロシアによる一方的な攻撃により、あれだけの犠牲が出ているのに、アメリカも周辺各国も直接の介入を手控えているようです。たぶん、おそらく、それが正しいのでしょう。 ここで、下手な手出しをすると、火に油を注ぐどころか、とんでもない大戦争へつながってしまう可能性もあります。ですが私たちに、いや私にできることは何でしょう。ほとんど何もない、ように思われます。そんなとき、彼女の、こんな言葉がスッと胸に入ってきました。 スーザン・ソンタグの発言(この本の序文から):
少なくとも一日一回は、もし自分が、旅券ももたず、冷蔵庫と電話のある住宅をもたないでこの地球上に生き、飛行機に一度も乗ったことのない、膨大で圧倒的な数の人々の一員だったとしたら、と想像してみてください。 自国の政府のあらゆる主張にきわめて懐疑的であるべきです。ほかの諸国の政府に対しても、同じように懐疑的であること。 恐れないことは難しいことです。ならば、いまよりは恐れを軽減すること。自分の感情を押し殺すためでないかぎりは、おおいに笑うのは良いことです。他者に庇護されたり、見下されたりする、そういう関係を許してはなりません──女性の場合は、いまも今後も一生を通じてそういうことがあり得ます。屈辱をはねのけること。卑劣な男は叱りつけてやりなさい。 傾注すること。注意を向ける、それがすべての核心です。眼前にあることをできるかぎり自分の中に取り込むこと。そして、自分に課された何らかの義務のしんどさに負け、みずからの生を狭めてはなりません。 傾注は生命力です。それはあなたと他者をつなぐものです。それはあなたを生き生きとさせます。いつまでも生き生きとしていてください。 良心の領界を守ってください‥‥。
もう少しお付き合いください。二冊目の本です。 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』。 タイトルを見ると、だいぶお堅そうな本ですが、これなかなか面白いんです。著者の加藤陽子さんは東大の先生で、専攻は日本近現代史。この本は、加藤先生が神奈川県の男子高校で五日間にわたって行った、講義と質疑応答の成果をまとめたものです。 取り上げている範囲は、日清日露戦争から、第一次世界大戦、満州事変と日中戦争、そして太平洋戦争です。
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子 新潮社 平成28年7月
この本を読んでいる途中で、ふと思いました。 あれ、日本という国は日清戦争以来、案外積極的に戦争を仕掛けていってるなあ、と。決して、売られた喧嘩を買っているのではない、むしろ喧嘩を売りにいっているのです。 たとえば日清戦争は、朝鮮半島をめぐっての日本と清国との争いなんですが、日清同時撤兵を主張した清国に対し、これを拒否し宣戦布告したのは日本でした。また、満州事変は南満州鉄道の一部を日本軍が自ら爆破し、それを中国側のしわざだといちゃもんをつけて始まったのでした。 「日本という国は」と、あいまいな言い方をしましたが、実際には誰が戦争を起こしているのでしょうか? 軍部? その中のエリート参謀たち? 政治家? 天皇? それとも国民? 国民はいつも巻き込まれる立場だと思われがちですが、いかなる独裁者も国民の同意なしには、戦争は行えません。 満州事変のときに、東大(当時は東京帝国大学)の学生たちに行った意識調査の記録があります。『丸山眞男の時代』という本に載っているエピソードで、孫引きになりますが紹介します。 1931年7月、満州事変の2か月前に、学生たちに「満蒙(満州と東部内蒙古)に武力行使は正当なりや」と質問しています。 これに対し。なんと88%の東大生が「然り(YES)」と答えているのです。この結果、どうですか? ちょっと意外だとは思いませんか? 今日(2022年4月9日)の朝日新聞「天声人語」には、こんな記事が載っていました。 ロシア国内でのアンケートで「ロシア軍のウクライナでの行動を支持しますか」の結果は、8割超が「支持」だったというのです。もっともこの記事には続きがあり、ロシアの報道サイトでは戦果が誇大に報道されているとか、国営テレビでは負傷したウクライナ市民をロシア兵が救助しているとかの裏事情が紹介されています。もちろんロシア市民には、うかつに本音を語りにくいといこともあるでしょう。 しかし、ともかく形としては、国民は同意している。ここに、何か考えるべきポイントがあるような気がするのです。 太平洋戦争、真珠湾攻撃のときはどうだったのでしょう。 竹内好という中国文学の先生は、こう書いています。 「歴史は作られた。世界は一夜にして変貌した。われらは目のあたりそれを見た。感動にうちふるえながら、虹のように流れる一すじの光芒のゆくえを見守った。十二月八日、宣戦の大詔が下った日、日本国民の決意は一つに燃えた。爽やかな気持ちであった。」 では、庶民はどうであったか。これは記録に残りにくいんです。また孫引きになりますが、『草の根のファシズム』という本から。山形県大泉村の小作農Aさんの開戦の日の日記。 「いよいよ始まる。キリリと身のしまるを覚える」そして真珠湾攻撃のときは、半日農作業を休んで「新聞を見てしまった」と書きました。 横浜で鉄道の駅員をしていたKさんは 「駅長からこの報告を受けた瞬間、既に我等の気持ちはもはや昨日までの安閑たる気持ちから抜け出した。落ち着くところに落ち着いたような気持ち阿」と日記に書きました。 この二人が日本人の代表というわけではないですが、雰囲気としてはこんなものかと。 さて、もしもボクが太平洋戦争が始まったこの時代に、庶民として生きていたならば、明確に戦争反対の立場を取れるでしょうか。考えると、実に覚束ないと思います。 以上。戦争について(少し)考えてみました。 結論は? ありません。 ただ言えることは、恐れずに発言できる「今」が、見かけよりもずっとずっと貴重だということ。いまのうちに、考えたり、歴史に学んだり、できれば誰かと話をしてみるのもいいですね。傾注すること、注意を向けることです。 そうそう、ボクが戦争のことを考えるときに、いつも頭に置いている考え方があります。それは、司馬さんが言う市井のリアリズムです。
『「昭和」という国家』司馬遼太郎 NHK出版 1998年3月
私は聞いてみたいのです。 アジア人のすべてから憎まれ、われわれの子孫までが小さくならなければいけないことをやっていながら、どれだけの儲けがありましたかと。どれだけ儲けるつもりでそれをなさいましたかと。
昭和の初期、日本の軍隊はリアリズムを失っていたと、司馬さんは言います。ソロバン勘定が合わないというのです。戦争や政治を損得に置き換えるのはムチャなようですが、ボクにはよくわかります。町の、八百屋のおっちゃんやお好み焼き屋のおばちゃんなら決してやらないような商売、それが戦争の正体なのかもしれません。