緊急事態宣言解除!?──残念。これは去年の今頃のお話

2020年5月25日 朝日新聞(夕刊)
「戻ってきた いつもの朝
      久々の出社 気持ちいい」

週明けのJR大阪駅前。出勤風景が戻ってきた。

なんと、心おどるような見出しではありませんか。この日(25日)コロナによる緊急事態宣言が、大阪、京都、兵庫の3府県で解除されました。
派遣社員の40代女性はインタビューに答え、「出勤の光景がコロナ前に戻ってきているようでうれしい」と喜びを表しています。
ここまでは、よかったんですよね。

もうひとつ。記事を見てみましょう。
2020年5月26日 朝日新聞(朝刊)

4月11日をピークに新規感染者数は減ってきた。このグラフを見れば、もう安心と思ったが‥

「日本は抑え込みに成功したのか」
やや懐疑的な口調ながらも、「感染者・死者数が世界に比べると少ない」「マスク文化が奏功」と、一応は安心感が伝わってきます。
第一、上のグラフが視覚的に訴えていますね。全国の新規感染者の推移ですが、これを見てホッとしたものです。このころ、吉村株も上がりっぱなしでした。
しかし記事をよく読んでみると、海外のメディアはいずれも疑念を伝えています。
米誌フォーリン・ポリシーは、日本のコロナ対策について「何から何まで間違っているように見える」と指摘し、「日本がラッキーなだけなのか、それとも優れた政策の成果なのか、見極めるのは難しい」との見方を示しています。
オーストラリアの公共放送ABCは、「不可解な謎」と題して、罰則を伴わない緊急事態宣言など日本の対策を「大惨事を招くためのレシピのようだった」と表現。
また英国BBCは、「ドイツや韓国に比べると、日本の検査件数はゼロを一つ付け忘れているように見える」と報じました。

このときから一年。
いまさらこんな記事を見たって、と思われるかもしれませんが、時間が経ったから見えてくるものもあるというものです。
後世の歴史家から見ても、この一年は重要なターニングポイントになる? かもしれません。

片岡秀太郎さん さらば

歌舞伎俳優の片岡秀太郎さんが、23日亡くなられました。(79歳)

ボクが秀太郎を意識し始めたのは、いつ頃だったか? 
1999年(平成11年)に、ボクは松竹座で二代目鴈治郎17回忌追善公演を見ています。忠臣蔵九段目山科閑居の場で、秀太郎は由良助妻お石を演じました。鴈治郎演じる戸無瀬に一歩も引かず渡り合うお石は、まったく貫禄十分でした。

山科閑居の場 大星由良助妻お石

若いころの秀太郎は、繊細すぎ、陰気になりがち、などと言われたこともあったようですが、このころはもう一本芯がしっかりと入った役者さんでした。(などと、生意気なこと言ってごめんなさい)

姫、遊女、女房、奥方など、どんな役でもこの人が演じると舞台が締まり、安定するような気がします。

お父ちゃんの13代目仁左衛門さんとおなじく、「だんだん良くなる」型の人だっただけに、享年79歳はまだ惜しい。

義経千本桜 静御前
寿曽我対面 大磯の虎
忠臣蔵六段目 一文字屋お才

それから、秀太郎さんは、いまテレビなどでひっぱりだこの片岡愛之助さんの養父でもあります。愛之助さんは、5歳のときに松竹芸能の子役オーディションを受けたのですが、その様子をみていた秀太郎さんが、愛之助9歳のときに歌舞伎界にスカウトしました。

そしてついに愛之助高校3年生のときに、秀太郎と養子縁組をすることになったのです。

歌舞伎界では、いわゆる「血筋」の人でないと、大きな役をもらうことはありません。愛之助今日の活躍は、秀太郎さんのスカウト、養子縁組の決断あったればこそ、というわけです。

謎本(続き)

平野啓一郎作「本の読み方 スローリーディングの実践」
せっかく見つけた本ですから、読んでみることにしましょう。


「スローリーディング」とは、一冊の本にできるだけ時間をかけ、ゆっくりと読むことである。
(中略)読書量は、自分に無理なく読める範囲、つまり、スローリーディングできる範囲で十分であり、それ以上は無意味である。私たちは、情報の恒常的な過剰供給社会の中で、本当に読書を楽しむために、「量」の読書から「質」の読書へ、網羅型の読書から、選択的な読書へと発想を転換してゆかなければならない。

「量」から「質」への転換。スローリーディングのすすめ

賛成です(基本的には)。読書は楽しみのためのものですから、早さを競う必要はないし、無理して読む必要はないと、今は思います。

ただ、早く読めるにこしたことはない、とも思います。「読んでほしい」と待っている本たちが、たくさん控えているからです。残り時間を考えると、まあ「ゆっくり急げ」ということでしょうか。

平野さんは、(とくに)小説は速読できないと言っています。なぜか?

それは、小説には、様々なノイズがあるからである。

ブロット(筋)にしか興味のない速読者にとって、小説中の様々な描写や細かな設定は、無意味であり、しばしば、ブロットを埋もれさせてしまう邪魔な混入物と感じられるだろう。それらは、小説にリアリティを与えるための必要悪程度にしか考えられていないかもしれない。確かに、スピーディにストーリー展開を追いたいだけなら、それらの要素はノイズである。しかし、小説を小説たらしめているのは、実はこのノイズなのである。

その通りだと思います。しかし実はボクも若いころは、とにかくストーリーを早く追いかけたくて、ノイズの部分はぶっ飛ばして読んでいました。ところが最近同じ本を読み直してみると、ストーリーとストーリーの間の行間にこそ、「味」がひそんでいることに気づきました。極端にいえば、ノイズの積み重ねでストーリーが形成されている。これ、人生と同じだなあ、なんて思ったりして。もちろん小説にもよりますし、作家にもよりますけどね。

読み方の「技術」にもページをさいている。たとえば、マーキングのすすめ

この本の中で、一か所大きくうなずいたところがあります。

読書で大切なことは、自分の感想を過信しないという態度だ。カフカのような難解な作品は特にそうだが、どんな小説でも、数年経って読み返してみれば、きっと違った感想を持つだろう。だから、読み終わって感じたことに対しては、「今の自分にとっては、こう感じられた。でも、数年経ったら、また変わるのかな」というくらいの「かりそめ感」をいつも持っていたい。

ボクの場合は、読み終わったらあっという間に忘れてしまうので、とくに意識して「かりそめ感」を持つ必要はないのですが、よい本というのはいくつもの角度をもっていて、読むたびに新しい顔を見せてくれるということです。

ことさら早く読むのでもなく、遅く読むのでもなく、ときに速読、ときに熟読、ときにすっ飛ばし、また再読と、ボクはフリーリーディングです。

謎本

我が家の本棚は、大体のところが二重になっています。(ところにより三重)つまり本が並んでいる裏側にもう一列本が並んでいるわけで、時々ひっくり返して奥の本を眺めることにしています。

すると先日三重になっている文庫本のコーナーから、見慣れぬ本を発見しました。
これです。

平野敬一郎作『本の読み方 スローリーディングの実践』。

忘れていた本に出くわすことはよくあることなのですが、この本にはまったく記憶がありません。恵子が買ってきた本かと思ったのですが(これもよくあること)、発行日が2019年6月ということで、計算に合いません。

さらにです。発見した時、実はこのようにブックカバーに包まれておりました。これは手がかりになりそうです。

外出中など、途中で読む本がなくなって、行き先の書店で本を買うこともありますから。

「Avanti Book Center アミーゴ書店」とあります。アミーゴ書店?聞いたことがありません。さっそく検索です。

ホッホー、けっこうたくさん店舗がありますね。大阪府だと、上新庄、東淀川、都島、千里丘、門真、寝屋川、枚方、近いのは‥‥。いや、ありませんね。どこもボクの立ち回り先ではありません。京都府、兵庫県にも店舗がありますが、どこも外れています。  

というわけで、ますます謎は深まったまま、この話はオシマイ。 えっ、オチは? オチはないんです。すみません。

もう19年にもなるのか スティーブン・ジェイ・グールドが 亡くなってから

 進化生物学界のカリスマ教授にして超人気エッセイスト、 スティーブン・ジェイ・グールドが亡くなったのは、2002年の5月20日。
この「科学の語り部」の死に、ハーバード大学は「世界は、ひどく退屈で、よくわからない場所になった」とその死を悼んだのでした。

リチャード・ドーキンスの本もよく読みましたが、グールドには、何というか「茶目っ気」があるのね。

グールドの科学エッセイの魅力は、生物学の話題に止まらず、他の科学領域や文学、歴史、地理などの博学な知識を駆使した、縦横無尽ぶりにあります。ひねりにひねった構造から、ときには話がどこに飛んでいくかわからないこともあるのですが、最後にはちゃんとした結論へ読者を無事着陸させてくれます。読者は、まるで大がかりなマジックショーを見ているような興奮を感じてしまうのです。

ここでひとつグールドのエッセイとはどのようなものか、その秘密を探ってみることにしましょう。題材は、『ダ・ヴィンチの二枚貝』17章「裏返しの関係」。

2002年3月 早川書房 渡辺政隆訳

出だしは、いきなりハムレットから始まります。あの有名な独白のなかでシェークスピアは、積極的な侮辱からの逃避として自殺の誘惑を述べているが、作家や知識人はそれよりも消去と忘却——つまり忘れ去られること——をはるかに気に病んでいる、とグールドはいいます。

ここでイギリスの生物学者ギャスケル(1847~1914)が登場。
ギャスケルはその後半年、脊椎動物に関する風変わりな理論を標榜したおかげで、知的なサークルからのけ者にされてしまい、晩年には忘れ去られた存在になったのです。
ギャスケルは生物の直線的な進化を信じていました。そして節足動物が脊椎動物に進化する段階で、その背側の消化管が脊椎動物の脳と脊髄になったと言い張ったのでした。

節足動物と脊椎動物では、各器官の配置が背と腹でちょうど逆になっている。つまり、節足動物(たとえばエビ)では神経系が腹側を通り、胃とそれに続く消化管は神経索の上側を走っている。これに対し脊椎動物(たとえば人)では腹側には消化器官があり、脳と脊髄は背側を走っている。ギャスケルの説は、これがなぜ逆転したかの乱暴な説明でした。

ところでギャスケルがなぜこんな説を出したのかと言えば、それに先行するジョフロアの説が気に入らなかったからです。ジョフロアは、節足動物の体も脊椎動物の設計プランに基づいていると論じました。そして背と腹の逆転については、これは単に裏返しになっているにすぎないと、いとも簡単に片づけてしまっています。基本設計図の普遍性の前では、どちらが表でどちらが裏かなど些末な問題だというのが、ジョフロアの考えでした。

節足動物と脊椎動物の構造の違いを説明するため、ギャスケルが描いた図

ところが1930年代以降は、ジョフロアの「裏返し」説でもなくギャスケルの「背に腹を変える」説でもなく、「収斂」説が大勢をしめるようになります。

これは、節足動物と脊椎動物はたしかに機能的なデザインが似ているが、それは別々に進化した結果そうなったにすぎないという考え方です。しかし話はまだ終りません。

グールドはここで「ミミズだってひっくり返る」という西洋のことわざを引き合いに出して、結局のところジョフロアの説が正しかったのだというところへ、話を誘導します。ごくごく簡単に言ってしまうと、各動物門の遺伝子はきわめて共通性が高く、交換しても立派に機能するほどの類似性を持っているということです。

脊椎動物のコーディン遺伝子はショウジョバエの腹神経系の形勢を誘導できるし、ショウジョバエのソグ遺伝子は脊椎動物の背側に神経組織を誘導できる。こうして、ギャスケル氏を狂言回しに使ったちょっとした物語は終わりに近づきます。

オチには『蠅男の恐怖』というB級映画を持ってきます。この映画のラストシーンは、人間の頭をした蠅(蠅男)がクモの巣にかかり、「助けてくれ!」と叫ぶもの。グールドはこんな風にラストを締めています。
「次にこの映画がリメークされることがあるとしたら、クモの巣に石を投げる人物は、石を投げるかわりにこんなアドバイスをしてもよいかもしれない。
『ひっくり返って人間になりな』」 

いかがですか。グールドの自由自在の筆の運び、感じ取っていただけたでしょうか。えっ、おまえの説明じゃわからんって? むむ、確かにこれではわかりませんね。

興味がおありの方は、直接グールドの著作にあたっていただくといいのですが、残念ながらどれも重版未定のようで、書店では手に入りません。古書は手に入りそうなので、そちらでどうぞ。

「ビジョンハッカー」に注目

昨日、NHKスペシャル「ビジョンハッカー」を見ました。

「ビジョンハッカー」って何でしょう? ボクも初めて出会った言葉です。「ビジョン」は、展望とか、将来到達すべき姿を意味する言葉。「ハッカー」といえば、コンピューターに無断で侵入してデータを乗っ取る人と覚えていますので、あまりいい印象の言葉ではありません。

では「ビジョンハッカー」とは?

実はいま、より良い未来のために世界を変えようとしている若者たちが増えている、というのです。
「ビジョンハッカー」とは、こうした取り組みを積極的に行っている若者、そしてそのグループのことを言っています。
NHKスペシャルで紹介されたのは、
◆自身が不明瞭な理由から解雇されたのをきっかけに、
労働者が搾取される社会をかえようとしているクリスチャンさん(アメリカ)
◆コロナ禍で孤立する医療従事者の子供たちを無償支援する
ライアンさん(アメリカ)
◆海外で健康診断の仕組みを広めようとしている酒匂真理さん(日本)
◆太陽光発電で雇用を生み貧困問題に取り組むエドアドルさん(ブラジル)
◆無償の学習支援に取り組み教育格差の問題に挑む李炯植さん(日本)

ビジョンを数百人の友達にSNSで伝えると、あっという間にボランティア希望者が集まった
「来てほしい未来に働きかける」ビジョンハッカーを説明する、わかりやすい言葉

どの取り組みも、政治が見落とした問題に視点を据えている。そして、応急措置的にではなく、かなり踏み込んだところから問題解決をはかろうとしているのがすごいと思います。彼らの武器はSNS(世代や国をこえたつながり)と行動力。彼らはまだ、20代や30代。思うに、小さい頃からITにつながってきた彼らには、世界の良いところ悪いところがよく見えているのではないでしょうか。

もちろん、こうした技術を使ってのコミュニケーションやクラウドファンディングによる寄付活動などはお手の物だし、躊躇がない。

ビルゲイツも、ビジョンハッカーに関心を寄せる

ボクは、この社会の未来について、どちらかというと悲観的だったけれども、ちょっと明るい面が見えてきました。面白い世代が育ってきましたね。

なんて、人まかせだけではいけませんね。ボクにも何かまだできることはあるでしょうか。正直かなりしんどいことですが、可能性だけは捨てずにおきましょう。

城跡公園 ただ今閉鎖中

本日は2021年5月14日、金曜日。予定では、昨日から再開されるはずだったのですが、大阪府の緊急事態宣言延長を受けて、ごらんのように31日まで休業延長となっていました。

そんなに人がわーっと押しかける場所でもないので、こなところまで休業しなくても、と思うのですが、まあやむをえません。
それにしても、コロナですなあ。去年の今頃のスクラップをちょっと覗いてみましょう。
ほっほー、ちょうど例のアベノマスクが配布された時でした。我が家にも当然配達されましたが、結局使わずじまいでした。

同じ時期、ワクチンに関してこんな記事がでています。
2020年5月11日 朝日新聞「ワクチンいつできる?」
この中で、研究者のみなさんが次のようにコメントしています。
京大IPS細胞研究所 山中伸弥教授
「五輪開催を可能にするワクチン量をあと1年で準備できるかというと、かなり幸運が重ならない限り難しい」
北里大 中山哲夫特任教授
「どんな方法ならば新型コロナウィルスをつくれるか分かっておらず、できる時期は見通しにくい」
大阪大免疫学フロンティア研究センター 宮坂昌之招へい教授
「ワクチンは健康な人に使う。重大な副作用が出ると大変なことになる」「一般の人が使えるようになるには、2年以上はかかる」

日本の研究者はいずれも、ワクチン開発に慎重な姿勢でした。それは正しいことだと思いますが、「何が何でも」というがむしゃらな姿勢には欠けていたようにも見えます。もちろん、結果論ではありますが。

それにしてもこの1年、なんだかあっという間でしたね。