謎本(続き)

平野啓一郎作「本の読み方 スローリーディングの実践」
せっかく見つけた本ですから、読んでみることにしましょう。


「スローリーディング」とは、一冊の本にできるだけ時間をかけ、ゆっくりと読むことである。
(中略)読書量は、自分に無理なく読める範囲、つまり、スローリーディングできる範囲で十分であり、それ以上は無意味である。私たちは、情報の恒常的な過剰供給社会の中で、本当に読書を楽しむために、「量」の読書から「質」の読書へ、網羅型の読書から、選択的な読書へと発想を転換してゆかなければならない。

「量」から「質」への転換。スローリーディングのすすめ

賛成です(基本的には)。読書は楽しみのためのものですから、早さを競う必要はないし、無理して読む必要はないと、今は思います。

ただ、早く読めるにこしたことはない、とも思います。「読んでほしい」と待っている本たちが、たくさん控えているからです。残り時間を考えると、まあ「ゆっくり急げ」ということでしょうか。

平野さんは、(とくに)小説は速読できないと言っています。なぜか?

それは、小説には、様々なノイズがあるからである。

ブロット(筋)にしか興味のない速読者にとって、小説中の様々な描写や細かな設定は、無意味であり、しばしば、ブロットを埋もれさせてしまう邪魔な混入物と感じられるだろう。それらは、小説にリアリティを与えるための必要悪程度にしか考えられていないかもしれない。確かに、スピーディにストーリー展開を追いたいだけなら、それらの要素はノイズである。しかし、小説を小説たらしめているのは、実はこのノイズなのである。

その通りだと思います。しかし実はボクも若いころは、とにかくストーリーを早く追いかけたくて、ノイズの部分はぶっ飛ばして読んでいました。ところが最近同じ本を読み直してみると、ストーリーとストーリーの間の行間にこそ、「味」がひそんでいることに気づきました。極端にいえば、ノイズの積み重ねでストーリーが形成されている。これ、人生と同じだなあ、なんて思ったりして。もちろん小説にもよりますし、作家にもよりますけどね。

読み方の「技術」にもページをさいている。たとえば、マーキングのすすめ

この本の中で、一か所大きくうなずいたところがあります。

読書で大切なことは、自分の感想を過信しないという態度だ。カフカのような難解な作品は特にそうだが、どんな小説でも、数年経って読み返してみれば、きっと違った感想を持つだろう。だから、読み終わって感じたことに対しては、「今の自分にとっては、こう感じられた。でも、数年経ったら、また変わるのかな」というくらいの「かりそめ感」をいつも持っていたい。

ボクの場合は、読み終わったらあっという間に忘れてしまうので、とくに意識して「かりそめ感」を持つ必要はないのですが、よい本というのはいくつもの角度をもっていて、読むたびに新しい顔を見せてくれるということです。

ことさら早く読むのでもなく、遅く読むのでもなく、ときに速読、ときに熟読、ときにすっ飛ばし、また再読と、ボクはフリーリーディングです。

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