床上浸水 その後

 それは、ほんとうにあっという間でした。気がついた時は、すでに全室に水が回っていました。最初にやることは何だ? 床に置いてあったパソコンを救出しました。本棚の、一番下の段の本を救出しました。家具(テーブルの脚など)、可能なものは保護しました。それから、水の追い出しにかかる。ちりとりを使って水を玄関方向に追いやり、雑巾代わりのバスタオルで吸い取り、絞って捨てる。延々と、こんな作業が続き、身体も心ももう限界に。気がつくと午後7時。そのとき、息子の新平が駆けつけてくれました。よっしゃー、と作業を引き継いでくれましたが、さすがに馬力が違います。たちまち水は追い出され、見た目には通常の状態に。ありがたいことです。
 最初のうちこそ、「せっかくだから、この状況を楽しんでやろう」なんて気持ちも多少はありました。しかし、どうもそうではなかったようです。
 その夜ベッドに入ったものの、目が冴えて冴えて。とうとう一睡もできず朝を迎えました。体は疲れていて眠りたがっているのに、心が興奮しちゃってるのです。

 忙しいのに、ブログをアップしました。これは記録しておかなくちゃ、との思いからです。
ブログを見て連絡してくださった方、ラインや電話で連絡くださった方、ほんとうにありがとうございました。見守ってもらってるんだなあ、という感覚をひしひしと感じることができました。

というわけで、今は取り合えず落ち着いておりますので、ご安心ください。
原因の特定は、まだできていません。大家さんが屋上に上がりましたが、「これは躯体自体の問題なのですぐには対処できない」と、「次の大規模修繕の時に‥‥」と言ってます。
この三日間、料理をしたり考えたりする余裕はありませんでした。思いがけずに、Mさんから差し入れをいただきました。おいしそうなお弁当。助かります。気持ちがほぐれます。

ゆうべは少し気を取り直して、娘の晶子からもらったブロック肉を焼いてみました。これ、意外に頭を使わなくていいメニューなんです。味付けは、塩コショウのみ。フライパンで各面をじっくり15分ほど焼くだけですから。う、旨い。牛肉の旨味をそのまま味わいます。(ちょっと固いけど)
まだまだやるべきことが残っていますが、徐々に元の生活に戻っていきます。まだ、心はザワザワしていますが。

まさかのまさかの 床上浸水

 思いもよらぬことが起るものです。
朝起きたときは、異常を感じませんでした。朝食の準備をしてパソコンのある部屋で、モグモグとやっていると、背後でなにやら気配を、感じたんですね。ボタ、ボタ、ボタ。
 たしか、8時半頃。
はめ殺しの窓の天井付近から、水があふれているではありませんか。
水は、あっという間に床一面に広がりました。リビングです。床上1cm‥‥2cm、3cm。

 この部屋だけではありませんでした。パソコンの部屋も、廊下側の元寝室も、どこから、水が沸いて出たのだろう?
かろうじて、和室だけは健在のようですが、それはおそらく見た目だけでしょう。畳の裏には水が回っているはず。

 ただいま19時。いままで水をかいだし、しぼって、ようやく床上にうっすら水がたまる程度になりました。
もうへとへと。腰は痛いし、背中は痛いし。あ、昼ごはん忘れてた。
 気になるのは天気です。う~ん、また雨が、強い雨が再開しそうですね。もうこれ以上は対処できません。なるようになれ、ですかね。

Nostalgic summer 禁断の「青」と」「白」

 「いやあ~ 今年はほんまに暑いですなあ」と、毎年言っているような気もしますが、やっぱり今年は、誰が何んと言おうと暑いです。
で、それがいまさら、どうしたって?
 うーん、どうしたというほどのことではないんですけどね、思い出したんですよ。この暑さで。しかも、二つ。

 一つ目はね、ほれほれあの青いヤツ。ときどき名前を忘れちゃうんですけどね、あ、思い出した。クリームソーダ!
 子供の頃、ボクらはファミレスとかはなかったからね、たまに外食の機会といえばデパートの大食堂。そのショーケースにね、飾ってあるんですよ、あの青い神秘的な禁断の飲み物が。
 どういうわけかボクは、あれは頼んじゃいけないもの、と思っていました。飲みたいのに、頼んじゃいけない、禁断の飲み物。なぜでしょうね。あの青い透明なキラキラ光る液体の向こう側に、何か別の世界があるような。
 ストローでこの液体をスーと飲むと、向こうの世界からスーと吸い込まれて、もう二度と帰って来れなくなるような。そんな気がしていたのかもしれません。

 この間、OTOTO COFFEEさん(最近のお気に入り)に行って、クリームソーダを飲んできました。おいしかったけど、別に何も起こりませんでした。写真撮るのを忘れたので、イラスト描いてみます。けど、これはけっこう難しい。それらしく見えるかどうか。

 さてもう一つはなにかというと、て・ん・か・ふ・ん、です。ご存じでしょうか。漢字で書くと、天花粉。試みに辞書を引いてみましょう。牧村史陽の『大阪ことば辞典』。

テンカフ[天瓜粉](名)汗押さえ粉。いまはシッカロールといわねば通用せぬようになった。天瓜粉は黄烏瓜の根からとった澱粉であるが、シッカロールは亜鉛華に薬品香料を交えたもの。
  天瓜粉這ふ子せはしく打ちにけり きよ女

 この辞書は、昭和54年(1979年)に発刊ですから、もうその頃すでに天瓜粉は死語になりつつあったということでしょうか。
話は戻りますが、この暑さです。汗をかきます。腕の、ひじの、内側がチクチクとかゆいんです。それで、あっと思い出しました。テンカフンの白いパフパフ。お母ちゃんがパフパフはたいてくれた。お母さんでも、ママでもなく、お母ちゃ~んなんです。
 ああ、あの頃に戻りたい、なんて一瞬思ったかな? これも禁断の夢ですね。
 ノスタルジーと実用と、両方にせかされて、買いに行きました。天花粉を。
 そしたら、薬局のおばちゃん、すごくすまなそうに、こう言うんです。
 「すみません、今はねベビーパウダーといって、こういう形なんですよ。パフパフは空中に飛び散るので、吸い込むとカラダによくないので、今はないんですよ」
 そうなのか。新しいベビーパウダーは、ごく普通のプラスチックのボトル入り。イメージとは全然違うので少々迷いましたが、買って帰りました。

 パッパッと振りかけると、な、なんだ、こちらの方が飛び散るではないですか。使い方、けっこう難しい。
 それでも、左右の腕の汗かき部分に白い粉を振りかけて、ボンちゃんしごくご満悦。しばし、白い粉の悦楽‥‥おっと、これはやばい。つまり、天花粉の思い出にひたったことでした。

ユニットバス 入りました

リフォーム前のお風呂は、外廊下に後付けしたもので、冬など着替えたりするときは「こりゃ、寒いやろな~」と思っておりました。今回、ユニットバスを導入、そしてバス室を部屋内に取り込む形になって、見るからに快適になりました。おかげさまです。

二階、窓際の床は、階下に光を取り込むため、透明床材を使用するとのこと。どんな仕上がりになるのか楽しみです。

おや 新聞は?(そしてヒロシマ)

 ちょっと遡りますが、先週8月1日の朝、郵便受けに新聞を取りに行ったら、おや? 新聞が来ていないではありませんか。さっそく文句をいわなくちゃと、新聞配達店へ電話を。ルルルーと呼び出し音が鳴ったところで、ハッと気がつきました。当初、引越し予定が7月だったので、新聞購読を8月から断っていたのでした。あわてて、電話を切りました。
 それにしても、新聞のない生活は実に寂しいなあ。調子が狂っちゃうよ、まったく。しようがないから、ウエブ版で読んではいるのですが、これはまったく別物。やっぱり紙がいいな。
 さて昨日8月6日は、ヒロシマの日。天声人語は、画家の丸木夫妻が「原爆の図」を描く話でした。 

それは格闘だったという。妻の俊(とし)が人物を描くと、夫の位里(いり)が「リアルすぎる」と上から墨をぶちまける。俊が描き直す。丸木夫妻が「原爆の図」第1部・幽霊を仕上げたのは1950年だった▼「まるで地獄じゃ、ゆうれいの行列じゃ、火の海じゃ。鬼の姿が見えぬから、この世の事とは思うたが」。 (以下略)

 ケイコは毎年この日の朝に、黙祷をささげておりました。もう一度ヒロシマを訪ねたいともいっておりましたが。

 こちらは、森本順子さんの絵本「わたしのヒロシマ」。森本さんは13歳のとき原爆を体験しています。
 今年スミソニアンでは、原爆展開催の話があったのですが、いつのまにかエノラゲイ展にすり替わってしまいました。世界はまだ、原爆の本当の怖さを知りません。一人でも多くの人が、広島、長崎で「リアルすぎる」現実を目撃してほしいものです。

荷造り開始? いえ、まだまだ

 時間はまだある。でもなんだか、気持ちはあせります。
 何かしなきゃ、と思って見渡すと、やっぱり目につくのは「本」なんです。前回引越しの時、まがり書房さん、牛舎さんに来ていただいて、だいぶ減らしたのですが、今回も相当減らす必要があります。
 というわけで、思いついて約600冊ほどをダンボールに詰め、ブックオフに送りました。

 今回ブックオフで感心したことが、一つあります。それは、引き取った本の一点一点に、価格明細を出してくれたことです。これは、けっこううれしい。やっぱり、手放した本の評価が気になりますもんね。
 昔は、これはなかった。ザっと見ると、小説系よりもノンフィクション系の方が、値段がよろしいようですね。ま、わずかですが。

引越し先はリフォーム中

 引越し先は、京都市北区紫野。
 「どの辺?」と聞かれた時には、「大徳寺の近く」と答えているのですが、なかなかわかりにくいようですね。地下鉄で言いますと、四条烏丸から北に向かい、次が烏丸御池、その次が丸太町、その次が同志社大学がある今出川、そしてその次、四つ目の駅が鞍馬口となります。ここで降りて西方向に10分ほど歩いたところにあります。古くて小さいながらも戸建てです。

 ご覧のように、いま床、壁、配管、電気など基礎となるところをリフォームしてもらっています。そんなこんなで、引越し時期は当初より遅くなり、9月となりました。
 ああ、だんだん実感がわいてきましたね。

そうだ 京都住もう

 私、この池田に40年以上住んでおります。池田はよいところです。まず地形がよい。市街地の、ほどよい距離のところにほどよい高さの山──五月山があります。町を歩いていて、いつでも緑が目に入ってくるというのは、気持ちのよいものです。
 駅からほんの15分ばかり歩くと、早くも山裾に至ります。春は桜の五月山公園、ウォンバットがいる動物園、そして池田城跡公園などがあり、我が家はこの城跡公園の真ん前なのです。もちろん、このサイトのタイトルも、この城跡公園あるが故です。
 池田賛歌を続けるときりがないのですが、私このたび、その池田を離れることになりました。行き先は、京都です。京都市北区紫野というところに引越しをします。
 住み慣れた池田をなぜ離れるのかといえば、一言でいえば、京都に住む息子が誘ってくれたからです。それに、一度は京都暮らしもしてみたいと思ってもいました。私、それほど交友が広い方ではありませんが、ここ池田には友達がいて、知り合いがいて、ちょっとなじみの店もあります。離れるのは、寂しい。けれど、新しい冒険の始まりでもあります。さあ、行きましょう。古びた頭と体の再起動、はちょっと無理ですかね?

ビリーホリディ そして‥‥

 いま、ビリーホリディを聴きながら、これを書いています。
 そしてあの、 strange fruit (奇妙な果実)のところにくると、やっぱり身構えてしまうんです。

「奇妙な果実」はルイス・アレンという若い高校教師が、作詞・作曲した。ビリーは1939年にこの曲に出合い、自身のレパートリーに加えるようになったが、コロムビアレコードはこの曲の録音を拒否したため、小さな専門レーベルであるコモドアレコードで録音された。

Southern trees bear strange fruit
Blood on the leaves and blood at the root
Black bodies swinging in the southern breeze
Strange fruit hanging from the poplar trees

 アフリカ系アメリカ人に対する人種差別反対の、象徴的な歌としてあまりにも有名ですが、ビリーはこれをたんたんと、語るように歌います。身構えていたボクも、いつのまにか引き込まれています。

和田誠さんが描くビリー・ホリディ。
『ポートレイト・イン・ジャズ』から。

 ジャズはいいですね。 
 ジャズというのは、奇跡だとボクは思うんです。
 アメリカが産んだ。もっとも素晴らしいものではないでしょうか。
 19世紀末に、ルイジアナ州ニューオリンズで生まれたということですが、西アフリカの音楽にルーツを持ちながら、その後さまざまな音楽と融合しながら進化し分化していきます。
泥臭いのかと思いきや、極めて都会的でおしゃれなのもある。複雑なコード、高度な演奏技術、そして即興性。

ビリー・ホリディは、1959年7月17日に亡くなっているが、ジョン・コルトレーンもまた7月17日が命日だ。(1967年)
ボクの好きなジャズプレーヤー。

 学生時代のボクは、けっこうはまったんですよ、ジャズ喫茶に。
もうもうと向こうが見えないほどの煙草の煙の中で、何かを考えるようなふりをしながら、ジントニックなどを飲んでいましたっけ。
 河原町の荒神口にあった、ほれほれ、なんだったけな。それから学校の裏側の相国寺のちかくにあった、それそれ。えーと、いけね。ぜんぜん、名前を思い出せません。ま、いいか。
 そうそう、もう少し後になりますが、ケイコともよく行きましたよ。東山三条の「カルコ」、京阪三条のあたりの「蝶類図鑑」。久しく、京都にも行っていません。

『ポートレイト・イン・ジャズ』
和田誠 村上春樹 
平成16年新潮文庫
和田誠が、まずお気に入りのジャズプレーヤーの似顔絵を描き、それに村上春樹がエッセーをつけるというスタイルの、楽しい読み物。53人のジャズマンが登場。