山椒魚と高杉先生

 
 ボクが中学二年生のときです。
国語の高杉先生が、井伏鱒二の『山椒魚』を朗読してくれました。

山椒魚は悲しんだ。
 彼は彼の棲家である岩屋から外に出てみようとしたのであるが、頭が出口につかえて外に出ることができなかったのである。今は最早、彼にとっては永遠の棲家である岩屋は、出入口のところがそんなに狭かった。そして、ほの暗かった。強いて出て行こうとこころみると、彼の頭は出入口を塞ぐコロップの栓となるにすぎなくて、それはまる二年の間に彼の体が発育した証拠にこそはなったが、彼を狼狽させ且つ悲しませるには十分であったのだ。
「何たる失策であることか!」

たしかこんな顔だった。高杉先生を思い出しながら描いてます

 ざわついていた教室は、いつの間にかしんと静まりかえっています。

 あるとき、一匹の蛙が岩屋の中に迷い込んできます。山椒魚は、自らの身体で岩屋の出口を塞ぎ、蛙を外に出してやりません。二匹の生物は、こうして激しい口論を始めます。そして、あのラストシーン。
 実はボクは、話の全体としては、いまいちよくわからなかったのですが、このラストのところだけは感動しました。 山椒魚は、蛙に聞きます。

「それでは、もうだめなようか?」
相手は答えた。
「もうだめなようだ。」
よほどしばらくしてから山椒魚は尋ねた。
「おまえは今、どういうことを考えているようなのだろうか?」
相手はきわめて遠慮がちに答えた。
「今でも別におまえのことを怒ってはいないんだ。」

新潮文庫 1948年1月

 大人の読み物なんかに興味がなかったボクが、小説も面白そう、と思うようになったのは、この高杉先生の朗読がきっかけです。
カリキュラムに沿ったものだったのか、高杉先生のアドリブだったのかはわかりませんが、ボクはいまでも高杉先生に感謝しています。  

 ところで、七月十日は鱒二忌です。
 井伏鱒二、たいへんに面白い作家です。もう少し見直されてもいいのではないでしょうか。

 直木賞をとった『ジョン万次郎漂流記』、後年原爆を扱って話題になった『黒い雨』もいいですが、ボクとしてはまずユーモア系の四作品をおすすめしたいと思います。

『本日休診』『駅前旅館』『集金旅行』『珍品堂主人』

 一癖も二癖もありそうな、それでいてどこか抜けていて憎めない、そういった人たちが登場します。
 井伏独特のユーモアとペーソス。そして、うん、やっぱり皮肉屋さんなのかな。これがあるから、甘すぎない、少々アルコールも仕込んだ大人のスイーツに仕上がっています。
 『駅前旅館』は、森繁久彌主演で映画化され、東宝の名物シリーズになっていますね。

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