ひろしま HIROSHIMA

 妻恵子は、いつもこの日の朝、黙祷をささげていました。
恵子のお母さんは広島出身で、女学校を卒業したばかり16歳で富山の父の元に嫁いだのでした。

原爆ドーム螺旋階段で遊びし少女母は八月六日三日前に嫁す

 原爆投下の三日前、一人汽車に乗って富山に嫁いだのだといいます。
「運命」を感じさせるタイミングでした。あと三日遅れていたら、恵子とその姉妹たちは生まれていなかっただろうし、恵子はボクと出会うこともなかった。ボクたちの子供たち孫たちもこの世にいなかったことになります。

祖父よあなたは見たのでせうか 蒼空に光る落下傘を その日の朝に

 しかし、お母さんの父親と弟が原爆の犠牲になりました。恵子の黙祷は、こうしたいろいろな思いがこもったものでした。

『ひろしま』石内都 集英社 2008年4月

さて、この石内さんの写真集も、もちろん恵子のライブラリー。

石内都さんは、母の遺品シリーズ「Mother’s」などで有名ですが、モノを撮る写真家です。石内さんがシャッターを押すと、資料としてのモノが、人が生きた証としてのモノに蘇ります。

広島平和記念資料館には、約1万9千点の被爆死した人の遺品と被爆した品物が保管されています。石内さんは、その中から、肌身に直接触れた品物を中心に選んで撮影しました。

原爆ドーム天蓋のなき聖堂に似てひしひしとわれを捉へり

現身のあまたの腕空を搔き苦悶に震ふ音叉となりぬ

エノラ・ゲイ蘇り来てあるといふスミソニア博物館は海を隔てつ

 今年で、76年。記憶は薄れていきます。
出来事を直接知る人も、もうほんとうに少ない。
大切な原稿をすっ飛ばして読んだ人もいるそうです。
ほんのわずかな手がかりであっても、記憶をエピソードとして記録しておくのもよいかと思います。
黙祷

(掲載歌はすべて恵子作です)

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2件のコメント

  1. 私たちは小学校の修学旅行で広島、中学校で長崎に行きました。
    たぶんあのころ私たちの小学校では平和教育が盛んで、みんなで体育館で戦争アニメを見たり、(私はそれがほんとに怖くていつも保健室に逃げ出してたけど)平和の像が建てられたり、平和まつりが開催されたり。平和まつりは恵子さんの発案でもありますね。
    だけど、私たちの世代でも広島の原爆資料館に行ったことがない人がほとんどだし、大人になってから自ら行くという人もあまりいないやろうね。
    昨日少しこどもたちと原爆のことを話したけど、それこそ彼らには現実とは思えないはなしのようでした。

    1. 現実とは思えないというのは、それはまあ当然でしょう。そんだけ平和だということだし。
      だけど、いつか一度は、広島長崎に行ってみるべきだね。映像や本や漫画で知る機会はあるけど、現場で見るのは全然違う。
      閃光に人影とどめし壁ありて爆心地無残県庁跡地
      (こうして歌を残しておいてくれたのは、とてもありがたいことです)
      昨日夜なかにNHKで、落とした側落とされた側という特集をやってました。
      当時日本の政府は、アメリカが新兵器を開発していることを、うすうすは知っていたのだそうだ。
      だけど、それは使う前に警告してくれるはずだと楽観していたらしい。そういうところ、あんまり変わらんなあ。

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