NHK大河ドラマ「青天を衝け」は、オリンピックのためしばらくお休みですが、なかなかがんばっていますね。
ドラマ前半で話題になったのが、一橋卿(のちの将軍)慶喜を演じる草彅剛。そして、堤真一演じるところの平岡円四郎という人物です。
高貴な血を引く聡明な主、無骨者で十五歳も年上の家来。変わり者の二人の気が妙に合った。
幕末で、わかりにくい正体の知れない人物といえば、まず西郷、そしてこの慶喜ではないでしょうか。申し分のない血筋の良さ、知力、胆力、しかし人からは容易に心の内を覗かせない複雑な人物。これに草薙剛のキャラが、なんとピタリとはまったのです。今まで見た慶喜の中でもっとも意外、なのにもっともそれらしい。キャスティングの妙ですね。
平岡円四郎の方は、キャスティング(堤真一)もいいですが、円四郎そのものが面白い。
実はボク、この人のことを知りませんでした。ほんとにこんな面白い人がいたのかな? そこでハッと思い出したのです。司馬さんならどっかに書いてるかもしれない。
なあに、簡単でした。『最後の将軍』がありました。
御三家の一つ水戸家に生まれ、のち十五代将軍として、みずから幕府を葬り去るらねばならなかった慶喜の活動を描く。
『最後の将軍』 文春文庫 1974年6月 司馬遼太郎
さっそくページをパラパラっと捲ってみると、出てきました、平岡円四郎の名前。前に読んだとき(奥付によると1990年)気にもとめなかったんですね。慶喜が水戸家から一橋家へ養子に入った時、慶喜の父斉昭が「誰か硬骨で学問のある近習はいないか」といい、円四郎が召し出されたのでした。
こんな面白い人がいたとは。(堤真一ぴったり)慶喜の信任あつかったが、1864年水戸藩士により暗殺される。
性、質朴で学問を好み、英才もある。ただ動作がいかにも粗野で、その上他人との交際を好まず、目上の者の屋敷にうかがってもお辞儀ひとつできぬ男だった。
円四郎は、「自分の柄ではない」と、この話を断りました。しかしこれを聞いた斉昭は、その欲のなさに感服し強いて請けさせたのです。
平岡は、食事の給仕をせねばならない。無骨な手つきでめしびつをひきよせ、杓子をとり、椀をとったりしたが、どうもうまくゆかず、飯がこぼれたりした。
「円四郎、給仕のしかたを知らぬのか」
慶喜は、気の毒そうな表情で年上の家来にいった。言うだけでなく平岡の手からひつをひきよせ、杓子と椀をとりあげ、給仕のしかたはこうするものだ、とていねいに教授した。どちらが近習であるのか、他人がみれば見当を違えるであろう。
(なんという殿か)
平岡は冷汗をかきつつも、仰天するおもいだった。
顔が、というのではない。似ているというのではなく、「つかみどころがない」という雰囲気を持っている。草彅剛の慶喜。
辞儀ひとつできなかった男は、やがて慶喜の知恵袋と言われるまでに成長してゆきます。
さて、話を飛ばします。そして、端折ります。
渋沢栄一です。渋沢の家は半商で、藍玉を商い、近郷で屈指の富家でした。栄一二十四歳。攘夷論にかぶれ、近郷の若者を集め、横浜の開港場を襲い、異人を殺戮しようという計画を持っています。その栄一が、平岡円四郎のもとを訪ねました。(挙兵のためには、一橋家の暗々裡の後援をとっておきたい)と考えてのことでした。円四郎はこれを聞いて驚きますが、この血気盛んな若者を「手に入れたい」と思いました。
円四郎は栄一に、正式に一橋家に仕官するよう勧め、慶喜にも会わせようとしました。ただし、農民という身分上、正式にお目見得は許されません。
そこで、円四郎は栄一に知恵を授けます。毎朝慶喜が調馬に出るときに、途中の道で待ち伏せ、走り出て名乗りをあげよ、というのです。
ボクはドラマでこのシーンを見たとき、こりゃ絶対テレビ用のエピソードだと思いました。だって、これはまるで日吉丸みたいじゃないですか。
京の北、松ヶ崎を駆ける慶喜。供、50騎と20人。それを追って栄一と喜作が走る。
ところが、『最後の将軍』にちゃんと書いてあるんですね。
渋沢は、いとこの喜作とともに未明から藪の中にひそみ、慶喜一行の来るのを待っていたが、やがて東天が白むとともに地をゆるがすような馬蹄のとどろきが聞こえ、渋沢らは走り出た。が、一行は駆け過ぎた。
(御馬の疾いことよ)
二度しくじり、三度目はこの騎馬団のあとを懸命に駆けた。護衛隊がさわぎ、ひきかえしてきて渋沢らを取り籠めた。渋沢は刀を鞘ごと抜いて地に捨て、両膝をつき、慶喜の方角を拝した。慶喜は手綱を引き、引きつつ鞭をあげて渋沢らをさしまねいた。その姿は、渋沢の目には眩むほどにかがやいてみえ、文字どおり歴史のなかの千両役者であるように思えた。渋沢らは夢中で近づき、夢中でなにかを言上した。自分では平素考えている時勢論を懸命に喋ったつもりであったが、なにをしゃべったのか、あとになっても思い出せない。終わって慶喜はすこしくうなずき、
「円四郎までよく申しておく」
と言いすて、馬首をめぐらせて去った。
司馬さんが書いているから史実だとは限らないわけですが、どうやら本当にあったことのようです。言い忘れてましたが、このとき慶喜は将軍後見職で京都在住。そしてこの、渋沢との出会いの場所は松ヶ崎です。
この芝居がかった出会いを演出したのは、平岡円四郎だ。まさに、太閤記。
松ヶ崎。
実はボクが学生時代、三年間下宿していた場所が松ヶ崎なんです。
へえ~、そうかあ、あそこを馬でね。渋沢が追っかけて‥‥
これだから、歴史は面白いんだよね、
とひとり悦に入っているボクでした。