池田 いけず石事情

「いけず石」と、俗に呼ばれている石があります。
たとえば、こんな石です。

ご丁寧に2方向からの接触を防いでいる。守っているのは、古い家屋?

 家の角に置かれ、付近を通行するクルマが誤って家の壁や設備などを傷つけてしまわないように防ぐもの、とされています。
 逆にドライバーの側にたてば、曲がり角でガリっと嫌な音がした。後で見ると、ホィールが傷ついている。チクショー、あの意地悪な(いけずな)石のせいだ、となるわけです。

 「いけず」というネーミングが暗示するように、いけず石は京都に多いといわれています。ところが、ボクが住んでいる池田にもけっこう多いのです。試しに「いけず石」をネット検索すると、なかなかの広がりを持つことがわかりました。ファンもいるようです。

情報を整理してみましょう。

  1. いけず石は京都に多い(一応そうしておきましょう)
  2. クルマが家屋を傷つけるのを防ぐために置く
  3. ただし、それが北東角に置かれている場合は、鬼門封じの役割を持つとも考えられる
  4. 京都以外の場所にもある(が、どこにもあるというわけではなさそう)
  5. 正式名称? または、いけず石以外の名称あるのかないのか、不明。
  6. 建築的な定義など=ない(建築家の友人に聞いてみましたが)
  7. いつ頃からあるのか(歴史)不明。クルマ=自動車とすれば昭和(とくに戦後)。荷車であれば、江戸または室町。牛車までさかのぼれば、平安時代。

いま言えるのは、こんなところでしょうか。

なぜ京都に多いのかを考えると、

  1. 道が狭い
  2. 交通量がそこそこ多い
  3. 守りたいものがある(古い家屋など)

この3つが、いけず石を生んだ要因ではないかと。私見ですが。
逆に言うと、これに当てはまれば、いけず石を生み出す確率がぐんと上がるというわけです。

 池田にも、これがある程度当てはまります。とくに、呉春のある綾羽町のあたりはそんな感じです。
 逆に、池田市でもっとも古い分譲地といわれる室町のあたりには、いけず石はほとんど見当たりません。このあたりは区画が大きく、道幅も広いためです。いけず石が面白いのは、これがあくまで自然発生的に現れているということです。
 さて、あなたのお住いのあたりはどうですか?
 いけずな石はありませんか?

戦争について(少し)考えてみる

 もとより戦争には反対です。しかし、長い長い人類の歴史において、人は戦争を続けてきたではありませんか。小説やドラマや歴史の中では、その物語や英雄伝説に心躍らせるではありませんか。
 人の、あるいは生物としての本能がそうさせるのでしょうか。それとも、「必要悪」とでもいうべきものでしょうか。

 かすかな記憶を頼りに、こんな本を引っ張り出してきました。
 『良心の領界』。これは2002年に行われた、スーザン・ソンタグを囲むシンポジウムの記録です。パネリストとして、浅田彰、磯崎新、姜尚中、木幡和枝、田中康夫が出席しています。

『良心の領界』スーザン・ソンタグ 木幡和枝訳 NTT出版 2004年3月


 この中で、かつてスーザン・ソンタグと大江健三郎が交わした往復書簡のことが話題になりました。
 浅田彰の発言:

 いくらミロッシェビッチを抑止するためといってもNATOの空爆は容認できないというのが彼(大江健三郎)の立場でしょう。それに対してソンタグさんは、そう言いたい気持ちは非常によくわかるけれども、「ノー・モア・ウォー」と「ノー・モア・ジェノサイド」「ノー・モア・ヒロシマ」と「ノー・モア・アウシュヴィッツ」を同時に考えなければいけないとき、ジェノサイドを防ぐために最小限のウォーが必要になるという厳しい選択もあるのだとおっしゃっている。
 たとえば、ドイツの緑の党のジョシュカ・フィッシャー外相が軍事力の投入をやむなしと判断したことを、ソンタグさんは肯定しておられます。

 この往復書簡というのは、99年6月に朝日新聞に掲載されたものです。
 このとき大江は、「私はこの国に柔らかなファシズムの網がかけられる時、若者たちが国境の外へインターネットの窓をあける、そのような共同体を夢想します」と、大江らしい言い方をしたのに対し、ソンタグは「柔らかなファシズム」とはあまりにも「あいまい」でムード的なんとちゃいまっか、とたしなめたのでした。
 ちなみにソンタグは93年から95年まで、戦火のサラエボを計5回も訪問し、長期滞在しています。現場での体験から、ソンタグとしては、戦争のリアリティを語らずにはいられなかったということでしょう。
 紛争地帯への介入について、少し違った角度からの意見があります。
 姜尚中の発言:

 ソンタグさんは、一般論としてある種の人道的介入が是か非かではなく、きわめて具体的な状況の中で考えていくべきであると言い、それに対して大江さんは、原理的にすべての人道的介入は成り立ち得ないという立場をとっておられる。私自身は、大江さんと異なる意味で、人道的介入に対して否定的です。具体的には南アフリカ共和国のことを考えるとわかると思いますが‥‥(中略)南アフリカの問題は、短期的にみるとアパルトヘイトによって膨大な犠牲者が出たのですが、しかしそこに介入しなかったことによって、長期的にみるとさまざまな犠牲をより少なくすることができたのではないでしょうか。
 朝鮮戦争もまた、もしそこに大国が介入していなければ、同じ民族同士があれだけの殺し合いにならなかったのではないかと思います。

 さて、いまのウクライナです。ロシアによる一方的な攻撃により、あれだけの犠牲が出ているのに、アメリカも周辺各国も直接の介入を手控えているようです。たぶん、おそらく、それが正しいのでしょう。
 ここで、下手な手出しをすると、火に油を注ぐどころか、とんでもない大戦争へつながってしまう可能性もあります。ですが私たちに、いや私にできることは何でしょう。ほとんど何もない、ように思われます。そんなとき、彼女の、こんな言葉がスッと胸に入ってきました。
 スーザン・ソンタグの発言(この本の序文から):

 少なくとも一日一回は、もし自分が、旅券ももたず、冷蔵庫と電話のある住宅をもたないでこの地球上に生き、飛行機に一度も乗ったことのない、膨大で圧倒的な数の人々の一員だったとしたら、と想像してみてください。
 自国の政府のあらゆる主張にきわめて懐疑的であるべきです。ほかの諸国の政府に対しても、同じように懐疑的であること。
 恐れないことは難しいことです。ならば、いまよりは恐れを軽減すること。自分の感情を押し殺すためでないかぎりは、おおいに笑うのは良いことです。他者に庇護されたり、見下されたりする、そういう関係を許してはなりません──女性の場合は、いまも今後も一生を通じてそういうことがあり得ます。屈辱をはねのけること。卑劣な男は叱りつけてやりなさい。
 傾注すること。注意を向ける、それがすべての核心です。眼前にあることをできるかぎり自分の中に取り込むこと。そして、自分に課された何らかの義務のしんどさに負け、みずからの生を狭めてはなりません。
 傾注は生命力です。それはあなたと他者をつなぐものです。それはあなたを生き生きとさせます。いつまでも生き生きとしていてください。
 良心の領界を守ってください‥‥。

 もう少しお付き合いください。二冊目の本です。
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』。
 タイトルを見ると、だいぶお堅そうな本ですが、これなかなか面白いんです。著者の加藤陽子さんは東大の先生で、専攻は日本近現代史。この本は、加藤先生が神奈川県の男子高校で五日間にわたって行った、講義と質疑応答の成果をまとめたものです。
 取り上げている範囲は、日清日露戦争から、第一次世界大戦、満州事変と日中戦争、そして太平洋戦争です。

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子 新潮社 平成28年7月

 この本を読んでいる途中で、ふと思いました。
 あれ、日本という国は日清戦争以来、案外積極的に戦争を仕掛けていってるなあ、と。決して、売られた喧嘩を買っているのではない、むしろ喧嘩を売りにいっているのです。
 たとえば日清戦争は、朝鮮半島をめぐっての日本と清国との争いなんですが、日清同時撤兵を主張した清国に対し、これを拒否し宣戦布告したのは日本でした。また、満州事変は南満州鉄道の一部を日本軍が自ら爆破し、それを中国側のしわざだといちゃもんをつけて始まったのでした。
 「日本という国は」と、あいまいな言い方をしましたが、実際には誰が戦争を起こしているのでしょうか? 軍部? その中のエリート参謀たち? 政治家? 天皇? それとも国民? 
 国民はいつも巻き込まれる立場だと思われがちですが、いかなる独裁者も国民の同意なしには、戦争は行えません。
 満州事変のときに、東大(当時は東京帝国大学)の学生たちに行った意識調査の記録があります。『丸山眞男の時代』という本に載っているエピソードで、孫引きになりますが紹介します。
 1931年7月、満州事変の2か月前に、学生たちに「満蒙(満州と東部内蒙古)に武力行使は正当なりや」と質問しています。
 これに対し。なんと88%の東大生が「然り(YES)」と答えているのです。この結果、どうですか? ちょっと意外だとは思いませんか? 
 今日(2022年4月9日)の朝日新聞「天声人語」には、こんな記事が載っていました。
 ロシア国内でのアンケートで「ロシア軍のウクライナでの行動を支持しますか」の結果は、8割超が「支持」だったというのです。もっともこの記事には続きがあり、ロシアの報道サイトでは戦果が誇大に報道されているとか、国営テレビでは負傷したウクライナ市民をロシア兵が救助しているとかの裏事情が紹介されています。もちろんロシア市民には、うかつに本音を語りにくいといこともあるでしょう。
 しかし、ともかく形としては、国民は同意している。ここに、何か考えるべきポイントがあるような気がするのです。
 太平洋戦争、真珠湾攻撃のときはどうだったのでしょう。
 竹内好という中国文学の先生は、こう書いています。
「歴史は作られた。世界は一夜にして変貌した。われらは目のあたりそれを見た。感動にうちふるえながら、虹のように流れる一すじの光芒のゆくえを見守った。十二月八日、宣戦の大詔が下った日、日本国民の決意は一つに燃えた。爽やかな気持ちであった。」
 では、庶民はどうであったか。これは記録に残りにくいんです。また孫引きになりますが、『草の根のファシズム』という本から。山形県大泉村の小作農Aさんの開戦の日の日記。
 「いよいよ始まる。キリリと身のしまるを覚える」そして真珠湾攻撃のときは、半日農作業を休んで「新聞を見てしまった」と書きました。
 横浜で鉄道の駅員をしていたKさんは
「駅長からこの報告を受けた瞬間、既に我等の気持ちはもはや昨日までの安閑たる気持ちから抜け出した。落ち着くところに落ち着いたような気持ち阿」と日記に書きました。
 この二人が日本人の代表というわけではないですが、雰囲気としてはこんなものかと。
 さて、もしもボクが太平洋戦争が始まったこの時代に、庶民として生きていたならば、明確に戦争反対の立場を取れるでしょうか。考えると、実に覚束ないと思います。
 以上。戦争について(少し)考えてみました。
 結論は? ありません。
 ただ言えることは、恐れずに発言できる「今」が、見かけよりもずっとずっと貴重だということ。いまのうちに、考えたり、歴史に学んだり、できれば誰かと話をしてみるのもいいですね。傾注すること、注意を向けることです。
そうそう、ボクが戦争のことを考えるときに、いつも頭に置いている考え方があります。それは、司馬さんが言う市井のリアリズムです。

『「昭和」という国家』司馬遼太郎 NHK出版 1998年3月

 私は聞いてみたいのです。
アジア人のすべてから憎まれ、われわれの子孫までが小さくならなければいけないことをやっていながら、どれだけの儲けがありましたかと。どれだけ儲けるつもりでそれをなさいましたかと。

 昭和の初期、日本の軍隊はリアリズムを失っていたと、司馬さんは言います。ソロバン勘定が合わないというのです。戦争や政治を損得に置き換えるのはムチャなようですが、ボクにはよくわかります。町の、八百屋のおっちゃんやお好み焼き屋のおばちゃんなら決してやらないような商売、それが戦争の正体なのかもしれません。

ぶあいそに「いいね」

 久しぶりに、ぶあいそうな豆腐屋に行き、豆腐を買ってきました。ここに行くときは、小銭をきっちりと持って行きます。
 今日もボクが買うのは、木綿豆腐。選んだ豆腐と、百円玉1枚、十円玉6枚を狭いカウンターの上に置くと、半陰になった店の奥から手がゆっくりと伸びてきて、摘まみ上げ、手のひらの上で大豆を選別するように数えては、レジの箱に放り込みました。
 相変わらず、「・・・・・・」です。喉の奥で、クっと何かが鳴ったような気がしましたが、たぶん気のせいでしょう。
 引き戸を引いて外に出ると、何だかこう、自然ににんまりとしてしまうのですなあ。豆腐を買いに行ったのか、店主のぶあいそを見に行ったのか、本当のところはどっちなんでしょう?

 さて、今夕はこれを喰らひます。それまでに、水出しをしておきます。豆腐を平皿に置き、上下をキッチンペーパーで挟んで、重しをします。
 重しはっと、おお、これにしましょう。サントリーの「だるま」です。先日、水屋の奥の奥のほうから出てきました。少なくても20年、おそらくは30年くらい前のものでしょう。
 ちょっと味見をしてみましたが(だるまのほうです)、なんか変。甘すぎるし、粘りがあるような。飲むのはやめときましょうか。
 しかし、重しには最適です。いかにも「お・も・し」て感じがするじゃないですか。
 だるまといえば、だるまほどぶあいそなものも、他に見当たりませんね。面壁九年、一言も口を利かなかったという人ですから。うん、こいつはいいや。重し、頼んだぜ。

  一時間ほどで、いい具合に水切りできました。これ、400gあります。かなりのボリュームです。今日は半分食べます。幅6~7mmくらいにスライスします。オリーブオイルを垂らし、塩をパラパラ。塩は、今日は伊豆大島産の天日海塩を使います。

こんな感じ。盛り付けも、実にぶあいそ。それでは「いただきます」

月見草忌?の翌日は菜の花忌

 2月12日は、菜の花忌。ノムさんの命日の次の日が司馬遼太郎さんということなんですが、実はこのお二人、若いころ隣同士に住んでいたらしいんです。
 ところは、大阪市西区の西長堀アパート。まだマンションという言葉がなかった時代で、マンモスアパートと呼ばれ、日本住宅公団の高層化第1号モデルでした。著名人の居住も多かった。司馬遼太郎さん、森光子さん、石濱恒夫さん(作家・作詞家)、そしてノムさん。

あくまで架空の対談です。文責 三十郎

司馬 あなたも西長堀のアパートに住んではったそうですな。私は10階におりましたが、あなたは?
ノム 私も10階で。
司馬 やっぱりそうか。いや、隣に大きな男が住んでいるということは知ってたんやが、何しろスポーツ音痴で‥
ノム はっは いや私は当時22か23くらいの若造で。試合がありますから、夕方に出て行って夜中に帰ってくるような生活で、お顔を合わせるようなこともなかったと思います。
司馬 それそれ どうも普通のサラリーマンとは違う。怪しい、と家内が言うんですわ。
ノム あっそれはどうも 失礼しました。
司馬 いやいやいやいや 失礼はこっちです。あっそうや 池波正太郎さんが訪ねてきたことがあるんですわ。その時廊下であなたとすれ違ったらしい。「司馬さん、お隣は野球選手とちがいますか」と言うたはりましたなあノム 池波先生言うたら、あの鬼平の‥ 
司馬 そうです 池波さんも私と同じ大正12年(1923年)生まれや
ノム 私は昭和10年(1935年)生まれですから、ちょうど一回り違いです。ところで先生、野球のほうは‥‥
司馬 それが、さっきも言うたとおりスポーツはからきしで‥。そや『坂の上の雲』という小説があります。登場人物の一人に正岡子規という俳人がいるんやが、子規は野球が日本に伝わったときからの熱心なファンで、打者、走者、四球といった野球用語は彼が作ったんですわ。「野球」そのものも子規作という説もあるが、これはウソ。そやそや、子規が野球するときは、キャッチャーやったそうでっせ。
ノム へえー、それは面白い。こんど『坂の上の雲』も読ませてもらいます。今までは、小説を読む余裕はなかったですが。
司馬 私も、少し野球の勉強してみますかな。

現在の西長堀アパート。耐震補強を含む大規模リノベーションを行い、新規入居募集を再開。

やあノムさん ボヤいてまっか

 2月11日は、ノムさんこと野村克也氏の命日です。おとどしですから、三回忌かな。
 このところ、高津監督、矢野監督、新庄ビッグボスなど教え子たちの活躍もあって、ずいぶんと持ち上げられていますね。ボクとしても、実にうれしい限りです。

 これは、ボクが持っているLPレコード。ジャケットのイラストは、つい先日亡くなった水島新司氏です。このときノムさんは38歳。プロ入り20シーズン目で、南海ホークスの監督、四番打者、捕手を務めていました。
 ボクはこのころからファンでしたが、実のところ現役時代のノムさんは、あんまりカッコいいとは思いませんでした。ネクストバッターズサークルでの立居振る舞いが、いかにももっさりしていました。捕手として致命的だったのは、肩が弱かったことです。
「おいノム、ボールにハエが止まっとるやないか」
などと、よくやじられてましたね。
 さて話を急ぎます。ノムさんは、選手として、監督として、野球評論家として、それぞれに素晴らしい成績を残していますが、ボクとしては、ノムさんの野球界への貢献の第一は「言葉」だと思っています。野球の技術論、戦術論、リーダー論、組織論、これらを著作、ミーティング、談話、解説、ボヤキなどの回路を通してアウトプットしていった。野球の奥深さ、面白さを多くの人に伝えるという仕事は、長嶋にも王にもイチローにもできなかったことです。

『野村ノート』野村克也 小学館 2005年10月

 この『野村ノート』は、数ある著作のエッセンス的な本です。ちょっと、何か所か拾ってみましょう。 

 ミーティングの最初に、私は挨拶代わりによく「はい、こんばんは。今日も知らないより知っていたほうがいいを始めます」といったものだ。
「考えたことがないのなら1回ぐらい考えておけ。それでも罰は当たらんぞ」
そんな言葉もよく口にした。結局、そういう“考える”という行為が選手にとってエキスになっていくのだ。

 野球は身体だけを使ってやるもんじゃないんだ。ノムさんの考えがよくわかります。

 フォークにクルクルとバットが回り、簡単に仕留められている打者がいる。必死に練習して打てるように努力をしているのだが、同じ結果をずっと繰り返している。こういう打者に「一度でいいから思いきってヤマを張ってフォークを狙ってみろ。一発叩き込んだら、もう相手は怖がっておまえにはフォークが投げづらくなるんだから」と指示を出すのだ。
 もっとも最近の若い選手はこの「ヤマを張る」というのを嫌がる。なんかずるいことをするような錯覚に陥るのだろう。何も悪いことはないし、ヤマを張る=賭けなのだが、子供のときから野球一筋でやってきた選手というのは、純粋で一途な性格の子が多く、正々堂々の勝負がかっこいいと思い込んで野球をしてきただけに、なかなか受け入れてくれない。そこで私は「ヤマを張れ」 ではなく「勝負してみろ」ということにした。そうすると「勝負? よし、やってみようじゃないか」と乗り気になる。

相手を見て法を説け。ノムさんも苦労している。
選手としてのノムさんは、本塁打王9回、打点王7回、首位打者1回、三冠王1回の記録を持っていますが、ちょっと変わった記録も紹介しておきましょう。
 それは、あの足の遅いノムさんが本盗を7回成功させたこと。
 通算1065盗塁の福本が1個、596盗塁の広瀬が3個、579盗塁の柴田は本盗0。相手が油断したこともあるでしょうが、これはかっこいい。そう思いませんか。

初詣は京都 北野天満宮

考えてみれば、京都で学生時代を過ごした四年間も、年末年始は実家に帰っていたから、
京都で正月を迎えるのはこれが初めてということになります。
今年は、息子が住んでいる京都で正月の祝いをすることになりました。
いい正月でした。クリスマスあたりはずいぶん寒かったですが、この二日間は気候もおだやか。
お節も、お酒もおいしく、まんぞくまんぞくです。
元旦 初詣、北野天満宮に行ってきました。

にぎやかです。さすがに混んでいます。でも、たぶんこれはましな方なのでしょう。
行列は、止まらずに動いていますから。
屋台、いいですねえ。あらゆるものが電子化の時代ですが、ここだけはアナログそのもの。
ボクが子供のころと、それほどかわってないように見えます

思うに、ボクが見ている屋台と、孫娘が見ている屋台とは、ずいぶん違っているに違いありません。
孫娘が見ている屋台は、もっともっと、キラキラと輝いていることでしょう。

北野天満宮 祭神は言わずと知れた菅原道真公。道真は丑年に生まれ、丑年に死んだことから、
牛の像が安置されています。この牛の頭をなぜると、頭脳明晰になるとか。

さて、拝礼です。少し時間はかかりそうですが、ここに来て引き返す手はありません。

並び始めて13分で、お賽銭箱までたどり着きました。思ったより早いです。
ボクが例年お参りしている清荒神さんでは、もっと時間がかかったはずです。というのは、ここ北野さんには
振り鈴がないんです。鈴があると、それを目指して人が集まるので、どうしても時間がかかります。たぶん、
元はあったのに、それを取っ払ったのではないでしょうか。
二礼二拍手一例。がっかりしない年にしようと、誓いました。

帰り道、すさかべ庵という蕎麦屋さんで、お昼をいただきました。
ボクが注文したのは、まんまる満月そば、というもの。どういうものか、分かって注文したわけではありません。
出てきたのがこれ。ちょっと、びっくり。でも美味しかったです。

突然ですが、母さんのこと

 いま、まがり書房さんで、一箱古本市というイベントをやっています。(6月4日~19日)
わたくしKAITEKIDOも出店しています。まがり書房は狭い路地の一画にある小さな本屋さんです。
普段は1階で営業。今回は、普段はバックヤードになっている2階部分が会場になっています。
こんな感じです。出店者は全部で14人。各自ダンボール一箱分のスペースをもらい、本を持ち寄っ
て出店します。

 出店者のなかの「すずらん文庫」というお店で、青木さやかさんの『母』という本を買いました。
普段のボクの読書傾向とは違うのですが、これも出会いというものです。
 さて『母』については、またあらためて紹介するかもしれませんが、今日は(ホントに突然ですが)
ボクのお母さんのことを少し書いてみたいのです。
 考えてみれば、ボクは母の作った料理を食べた記憶がほとんどありません。家は商売をしていて、
当時は住み込みの店員さんが大勢一緒に暮らしていましたから、母はそちらの世話に忙しく、子供たちの面倒を見る暇がなかったのでしょう。
 唯一の例外は、ボクが中学生の時に、毎朝お弁当を作ってくれたことです。おかずはまあ、ありきたりのもので、玉子焼きや、タコの形に切ったウィンナや、ホウレンソウなど。ボクはけっこう喜んで食べていましたので、母もきっと楽しかったのでしょう。

 母はとてもさっぱりした性格で、「勉強しなさい」とはいっさい言わなかったように思います。
その点、青木さやかさんの母上とは正反対です。
 でも気にはしていたのでしょう。あるとき、こんなことがありました。
 中一の時でしたか、ボクの美術の成績が5段階評価のうち「1」だったのです。そのときなんと、母は血相を変えて学校にどなり込んだのです。
「うちの子が、そんな成績をとるはずがありません!」
根拠もなにもあったものではないのですが、これには、周りの方がびっくりしてしまいました。先生もよほど驚いたのでしょうね。おかげで次の期のボクの成績は「5」でしたから。
 ああ、もう一つ思い出しました。
 これは、ボクが小学生のときの写真(真ん中がボク)ですが、何かおかしなことに気づきませんか。

 ボクだけが、違う制服を着ているんです。入学の時、母が間違えて他の学校の制服を買ってきました。
これって、おかしいでしょう。他のお母さんは、誰一人間違えていないのね。それでも母は
「はい、あんたはこれでいいの」で、おしまいでした。
なんてそそっかしい、なんていいかげんな母でしょう。


 母は69歳でなくなりました。早かったですね。本を読むのも好きだったので、もう少し生きていてくれば、いい友達付き合いができたかもしれません。
 名前が同じということもあって、(おっと、母の名前は貞子といいます)沢村貞子さんのエッセイなどを
好んで読んでいましたね。

こんな写真がでてきました。どうです、なかなか美人でしょ。

東海道四谷怪談


 歌舞伎の怪談物といえば、まず真っ先に名前があがる名作演目です。さる3月27日にNHKテレビで、録画放送されました。なんと今回は、片岡仁左衛門の伊右衛門、坂東玉三郎のお岩という、超豪華ゴールデンスペシャル配役なんです。おそらくは、もう二度と見られないでしょうなあ。

 ここでちょっと内輪のお話なんですが、ボクの母親(貞子といいます)は、ボクがおなかの中にいるときに四谷怪談を見に行ったというんです。それで姑さんに「あんた、いったい何考えてんねん」と、こっぴどく叱られたそうです。
 そらそうですわな。昭和の22年といえば、いまより何倍も胎教といったことにはやかましかったでしょうに。
 「さて、どんな子供が生まれてくるのやら」と、周りはみな心配したといいます。
 しかし、ボクはこの話を案外気に入っています。貞子さんも、この話をするときは、何だか楽しそうでした。

 ご存じの方も多いと思いますが、四谷怪談のあらすじをザっとご案内しましょう。

《四谷町伊右衛門浪宅の場》

民谷伊右衛門(たみやいえもん)は、元塩谷家の家来。この狂言は、忠臣蔵外伝ということになっている。

 浪人民谷伊右衛門(片岡仁左衛門)は、不良浪人で実に悪いヤツなんですが、イケメンでそこそこ腕っぷしも強く教養もありそうにみえる。外面はなかなかに魅力的な男です。ましてや、演じるのが仁左衛門丈とくれば、どうです、傘貼りの内職中の姿だって、カッコいいでしょう?
 女房のお岩(坂東玉三郎)は産後の肥立ちがわるく、このところ病がち。それを見て伊右衛門は、「ちぇ、鬱陶しいやつだ」と内心思っているわけです。
 民谷家の隣人に伊藤喜兵衛というお金持ちの老人がいます。この喜兵衛の孫娘お梅が、伊右衛門に一目ぼれ。何とか一緒になりたいものと、恋情を募らせます。その伊藤家から使者がやってきました。お岩さんへのお見舞いと、薬を置いて帰ります。その薬を飲んだお岩さん、顔半面が腫れあがり、二眼と見られぬ醜い姿に。鏡を見て「あれ~」と仰天するお岩さん。

《伊藤家内の場》

お岩と別れてお梅をもらってくれとは、何とも勝手な頼みごとをする伊藤喜兵衛。

 伊藤家に招かれた伊右衛門は、喜兵衛から、お岩と別れお梅と一緒になってくれと頼まれます。喜兵衛は、孫娘のお梅を溺愛しているのです。
 いったんは断った伊右衛門ですが、チャリンと小判の音を聞かされ、「就職の世話もしてあげるよ」とささやかれ、さらには、さっきお岩さんに届けた薬は毒薬だよと聞かされて、とうとう承諾する。(内心ニンマリ)
 家に帰った伊右衛門、お岩の顔を見てぞっとします。「オレ、お梅といっしょになるよって、バイバイ」と、非情なこと。
 お岩は悶え苦しんだ挙句、置いてあった刀が首に刺さって死んでしまいます。伊右衛門は、お岩と小平の遺体を戸板の裏表に括り付けて川に流します。(小平は下男。盗みを働いたというので殺してしまう)伊右衛門は伊藤家の婿に入りますが、婚礼の晩に幽霊を見て錯乱し、梅と喜兵衛を殺害、逃亡します。

《本所砂村隠亡堀の場》

堀を流れてくる戸板。縄で引っ張っては感じが出ないので、お弟子さんが背中に乗せて運んでくるそうだ。

 退屈しのぎに夜釣りにやっていた伊右衛門。どこかから、自分を呼ぶ声が聞こえます。不審に思い川面を見ると、あの戸板が‥。
 戸板を引き寄せてみると、お岩の幽霊が「うらめしや~」。くるりと戸板が裏返って、今度は小平の幽霊。これが有名な「戸板返し」の仕掛けです。
 言い忘れましたが、この芝居の作者は、あの鶴屋南北。このときお岩を演じたのは尾上菊五郎ですが、戸板返しの仕掛けがどうも呑み込めない。そこで、南北が菊五郎宅へ説明に行ったそうです。南北が懐から紙で作った戸板返しの模型を取り出して説明すると、菊五郎ようやく腑に落ちて「いいね」といったとか。
 このあと、芝居はもう少し続きますが、今回の放送はここまででした。ボクは怖がりなので、怪談はあまり好むところではありませんが、仁左衛門さんはやっぱりよろしますなあ。「色悪」の魅力たっぷりです。御年78歳。お元気なうちに、もういっぺんくらい、観に行きたいものですが。 

ヒトは人を超えるのか?

 NHKの番組「ヒューマニエンス」を見ました。1月25日放送『ヒトとマシンの融合 サイボーグ』。
 今日は筑波大学大学院教授の山海先生がメインゲストです。
山海先生といえば、ロボットスーツ「HAL]の開発者として有名ですが、いま先生が示しているのは、埋め込み型の人工心臓。

 当初はドナー待ちの患者のための、「代役」として開発されましたが、あまりに性能が良く、このまま永続医的に埋め込んで使用という選択もできるようになりました。近い将来、心臓が原因で死ぬ人はなくなるのではないか、といわれています。死亡を確認する「心肺停止です」という言い方もなくなるかもしれません。
 面白いのは、人工心臓を装着して動かしているうちに、弱っていた心臓がリズムを取り戻し、再び活発に動き始める例があるということ。人体の不思議ですね

 もう少し身近な例で、最近大きな成功を収めているのが「人工内耳」です。人工内耳は、手術で耳の奥に小さなチップを埋め込み、音をマイクで拾って耳内に送ります。補聴器でも効果が得られない難聴でも、聞こえるようになることということです。

 しかし実は、人工内耳の可能性はこれだけではありません。集音マイクの部分は、いわば「性能無限大」。普通の人間には聞こえないような周波帯の音を聞こえるようにする設定も可能です。たとえば、人間には聞こえない「犬笛」の音を聴いたり、クジラが発する信号音が聞いたりもできるかもしれません。
 また、ブルートゥースの音を選択的に聞く設定も可能。授業中や会議中に、知らん顔して音楽を聞いている、てなことも、今まで以上に目立たずに行えるんですね。これは、人類の能力を超えていく、という意味で、まさしくSF的なサイボーグ化事例といえそうです。

 もっと極端な、SF的事例を紹介しましょう。こちらは、ロボット工学博士のピーター・スコット・モーガン。
 4年前に、彼はALSを発病、余命2年であることを宣告される。これを聞いてピーターさんは、思い切った行動にでた。つまり、生命維持に必要な機能をすべてマシン化しようというのです。

 食事と排泄は、背中に背負ったポンプの働きで処理をする。呼吸は、酸素のチューブを気管に直接接続する。コミュニケーションは、ALSでは顔の筋肉が動かなくなるので、スクリーン上に3Dアバターを出現させることにした。言葉は、目線によってパソコンに打ち込み音声に変換する。
 脳を除くほぼ全身がサイボーグ化する。SFではないんですね。

 このプロジェクトには、親族・友人らが全面サポートし、アメリカの半導体メーカー、中国のパソコンメーカーなども支援をしています。下のイラストは、ピーターさんの描く未来の自分の姿。この状態を彼は、ネオヒューマンと呼びます。少し前までは空想でしかなかった新しい人類が誕生しつつあるのです。

近頃の読書から

初見参 村上春樹ワールド

 ボクは村上春樹さんの小説を読んだことがないのです。
「食わず嫌い」ですかね。まあ、それほど意識して避けてきたわけではないのですが、あえていえばタイトルに少々違和感を覚えたのかもしれません。『ノルウエイの森』『羊をめぐる冒険『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』なんて、なんかチャラチャラしとるのう、と。
 このたび、天の声が聞こえてきました。
「チャラチャラしとるのは、あんたのほうや。とにかく一冊読んでみたら?」
 声がしたのは、本棚のほうからでした。そうです。読んだことがないのに、我が家の本棚には、村上春樹本がけっこう揃っているのです。もちろんこれはケイコが残していったもの。ほな、読んでみよか。

『海辺のカフカ』村上春樹 平成14年9月 新潮社

さてそこで、今回選んだのは『海辺のカフカ』。

 読んでみた感想。一言でいいますと、「けっこう、ボクに合ってるんじゃないの」というもの。まず、読みやすいです。これは、深くも読める(たぶん)し、さらっと読み飛ばすこともできるということ。

 カフカという少年が出てまいります。
東京在住。15歳の誕生日、彼は家出をする。父に反発、書斎から現金40万円を拝借して、深夜の長距離バスにのる。行き先は四国の高松。途中でのいくつかのエピソード。いわゆるロードムービーですな。ついた先は小さな、そして不思議な私設図書館。
  一方、ナカタさんという、けったいなおっちゃんが出てまいります。

「こんにちは」とその初老の男が声をかけた。
猫は少しだけ顔をあげ、低い声でいかにも大儀そうに挨拶をかえした。
年老いた大きな黒い雄猫だった。
「なかなか良いお天気でありますね」
「ああ」と猫は言った。
「雲ひとつありません」
「‥‥今のところはね」
「お天気は続きませんか?」

 ナカタさんは、なんと猫語がわかるのだ。人に頼まれて、行方のわからなくなった猫を捜索することで生計をたてている。
このナカタさんも、ひょんなことから、四国を目指すことになる。手段はヒッチハイク。
 この二つのストーリーラインが、同時並行するわけですが、二人はどこかで出会うのか?どんなかたちで?それともすれ違い?
さあ、面白くなってきましたよ。
 というわけで村上小説に初見参。日本が舞台であるけれども、それがどこであってもよいような世界観。
 村上さんの小説が、世界中で翻訳されている理由が、ちょっとわかった気がします。(一冊読んだだけですが)

他に、こんな本も

『ヤクザ・チルドレン』石井光太2021年11月 大洋図書

 世に「暴力団」と呼ばれている人たちがいる。
 2020年度の警視庁の発表では、構成員・淳構成員合わせて2万5千9百人いるそうだ。
 この人たちにも、子供がいる。その子供たちは、いったいどんな人生をおくるのだろうか。
  親ガチャという言葉があるが、これは究極の負の親ガチャ。暴力、ドラッグ、差別、貧困、離婚、社会のあらゆる問題が全部家の中に詰まっている。それなのに、子供たちは、苦しいと声をあげることさえできない。地域も政治も警察も、力になってくれないとしたら‥‥。
 まことに読むのがつらい本で、「ああ、何にもできないな」と傍観者のまま読み終えました。

『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』スズキナオ 2019年11月 スタンド・ブックス

 スズキナオさん。東京で会社員をしていたが、30代半ばでライター業に転職。同時に大阪に引っ越した。
 実家は東京にあるので、深夜バスを利用して、大阪東京を行ったり来たり。他の土地にもバスで出かけて、いろんな体験をして、それが一冊の本になった。これが、な~かなか面白いんですよぉ。
 その中で、エピソードを一つだけ紹介します。

 スズキさん、あるところで「鏡広告」の話を耳にしたんです。「鏡広告」というのは、銭湯の壁面に貼ってある鏡──男の人なら、それを見ながらヒゲを剃ったりする──にスポンサーがついたものです。鏡のかたわらに社名と簡単なキャッチコピー、電話番号が入っています。
 ここでちょっと、こっちの話なんですが、実はボクの家は昔、ガラス・鏡の製造販売業をやってたんです。そういえば、子供のころ、広告の入った鏡を見たことがあるなあ、と思い出しました。
 で、スズキナオさん、「鏡広告」のことを調べてみようと思い立ち、実際に広告を発注することにしました。
 その途中でわかったことですが、鏡広告の制作や取付は「近畿浴場広告社」という会社がやってくれるとのこと。大阪府八尾市にあるこの会社に、スズキさんは出かけていきました。
 出迎えたのは、江田ツヤ子さん、82歳。全盛期には15人の社員がいたそうだが、7年前に夫秀明さんが亡くなったあとは、ツヤ子さんが一人で運営しているという。なかなか、へえ~な話でしょ。
 スズキさんは、人柄がいい。人の話を素直に聞いて感動する名人だ。